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一 幸徳傳次郎「歌牌の娯楽」≪原文≫

(『平民新聞』第八號)


 一少女に問ふ、新年に於て何物か最も楽しき、對へて曰く、歌がるたを取るなりと、之れ有る哉、我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し姉に従ひて、食と眠とを忘るゝこと屡々なりき、依て想ふ、歌がるたの遊戯、何ぞ爾く楽しかりしやと


 人多くは曰ふべし、歌がるたの楽しきは競爭に在りと、或は然らん、然れども世の所謂競爭なる者を見るに、大抵悲痛勞苦の之に伴ふ多きが故に、人は皆之を厭ひ之を避けんとす、特り歌がるたに在りて爾く楽しむ可しと爲す者、別に其故無くんばあらじ、曰く有り、歌がるたの競爭は、諸種の點に於て、世の所謂競爭と頗る其科を異にする者なり


 歌かるたの遊戯は、競爭の遊戯なり、左れども此競爭や、直ちに人生の最高理想を現實す、何ぞや、自由、平等、博愛

 歌かるたの競爭は自由なり、他人の爲に役せらるゝに非ず、境遇の爲に驅らるゝに非ず、進まんと欲して進み、止まんと欲して止む、唯我獨尊、縦横無礙、眞個の自由を享くる者に非ずや

 歌かるたの競爭は平等なり。其一たび席を設け陣を張るや、階級なく、門閥なく、金力なく、權勢なく、兄弟も姉妹も親子も主客も雇主被雇者も、皆な同等の地歩を占め、同等の權利を有して、以て遺憾なく其技能を伸べ、其力量を角せしむ、眞個の平等を樂しむ者に非ずや

 歌がるたの競爭は一面に於て多數の協同を意味するなり、皆な心を一にして相結び、排擠なく、離間なく、中傷なく隠謀奸策なく、極めて公明、極めて正義の運動を爲し、強、弱を扶け智、愚を救ふ、勝敗一決すれば相看て哄笑す、嬉々たり、雍々たり、和氣掬するに堪たり、所謂衆と偕に樂しむ者、眞個博愛の心の發揚さる者に非ずや


  故に歌がるたの樂しきは、唯だ其競爭なるが爲めに非ずして、其競爭が、此時此際、一切世俗の習慣、束縛、迷信を?脱して、眞個の自由、平等、博愛を現ずればなり、孔子曰く、君子は爭ふ所なし、必ずや射乎、揖譲して昇り、下りて飲む、其爭ひや君子なりと、歌がるたの爭ひや誠とに君子の爭ひなり、眞なり、善なり、美なり、花の如く天使の如き少女が、新年に於て最も樂しとなす者、所以あり


 嗚呼天下の競爭てふ者をして、盡く君子の争ひならしめば、自由、平等、博愛なること、眞なり善なり美なること、彼の歌がるたの競爭の如くならしめば、如何に人生社社會の樂しかるべきぞ、左れど見よ、人は生存の競爭の爲めに、却って其自由を束縛さるゝことなり、其平等を破壊さるゝなり、其博愛の心を?殘せらるるなり、歌がるたの競爭は、少女も之を樂しめども、生存の競爭の悲痛と勞苦には、孟夏賁育も亦疲倦せざることを得ず、我等社會主義者、豈に徒らに競爭を排せんや、萬民の生を遂げしめんが爲めに已むことを得ざればなり


 歌がるたを樂しめる少女よ、我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し姉に従ひて、食と眠と忘れしこと?ばなりき、今や此樂しみなし、嗚呼老いけるかな、顧みて憮然之を久しくす

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