この、榛原牌の再鑑定は、「品子」を使っている古い時代の「昇官」牌や「公侯相将」牌の評価にも影響する。というのは、これまでは、榛原牌が1860年代のものと考えられていたので、それよりも図像として古そうな「昇官」牌や「公侯相将」牌は、それ以前、十九世紀中期、もしかすると十九世紀前半期のものと考えられていたのである。しかし、こうした理解を支える榛原牌という根拠が消失すると、「昇官」牌や「公侯相将」牌の時代鑑定もぐらついて、1920年代よりは古いがさほどに古いものではなさそうだということになる。そして、その他の様々なポイントからの鑑定からすると、これらの牌は十九世紀末期（1881～1900）から二十世紀初期（1901～20）にかけて制作されたものであろうという推定が生まれる。
自由麻雀の時代という考え方は、もう一つ、意外なところにも影響がでる。花辺牌である。これは、ひたすら豪華に仕上げられた装飾性の強い一群の牌である。通常は、字牌と万子牌の縁に装飾の枠が彫られていることと、索子牌の図柄が魚、蟹、ピーナッツ、果物などと自由に変えられていることが特徴である。1920年代に、裕福な中国人や欧米人を目当てに制作され、過ぎ去った清朝の王朝での愛好の歴史を継承した名品として販売され、相当数が輸出されたようである。これもまた、自由麻雀の時代の産物なのである。
この花辺牌では、花牌がまったく自由な図柄で、さまざまに興味深いものになっている。この、花牌を自由なテーマ、自由な図柄で彫ってみるというのは、1920年代の自由麻雀の時代の特徴である。「品子」牌と「花辺」牌が共有しているのは花牌の彫りだけであるが、その気になってみれば、両者の花牌の彫りの技法はよく似ている。麻雀博物館は、主としてアメリカでこうした牌を発見して買い求めた。中国ではあまり見かけず、骨董商が持ち込んでくるものは、当時アメリカに輸出されたものが最近里帰りしたものであるが、制作時からずっと中国国内で上流階級の人々によって使用されてきた牌で国外に流出したことはないという幻の来歴に着替えて骨董市場に登場したように見えた。
1910年代、20年代の欧米における異常な麻雀ブームと、それを目当てに制作された華美な「自由麻雀」牌という歴史を知らなければ、花辺牌はその絢爛豪華さから、清朝の宮廷や最上流階級の人々が愛好した伝統の麻雀牌のように見える。だが、売り込みの際に説明される由緒は別として、麻雀牌の図像そのものを見た限りでは、彫りに手間は掛けてあるが、作風は伝統のものではない。むしろ、「自由麻雀」期の牌と共通の新鮮な近代の匂いがする。例えば、花辺牌では「白板」牌には枠があるが、これは、中国南部の麻雀牌の特色であり、中国中部や北部では見かけない。この種の枠の付いた牌が制作された時期もそれほど古くさかのぼることはない。また、「索子」牌では索子は「壽」の文字で表わされている。これも中国南部の流行である。この辺からは、「自由麻雀」時期の香港や広東あたりで売買されていた欧米人向けの麻雀牌という雰囲気が立ち込める。それは、開国直後、江戸時代末期から明治時代前期にかけての日本で、外国人の帰国時の土産品用として盛んに制作された、江戸時代の将軍家や大名家の調度品を模して横浜あたりの開港場で売り込まれていた、大名家の金色の家紋も輝く模造品と同じような臭いと言っても良い。「花辺牌」は清朝の宮廷調度という伝説には確たる証拠はない。
こういうわけで、「自由麻雀」の時代の探求は、「昇官」牌や「公侯相将」牌、さらには「花辺」牌まで含んだ大騒ぎになってしまった。これまでは、なんといっても史料の数が少ないので、探求することがほとんど不可能であった。幸いなことに、麻雀博物館が多くの麻雀牌を蒐集したので、探求の旅への新しい切符が手に入ったのである。 従前の麻雀史の研究は、数少ない文献の解読を主としており、研究教育機関に雇用されて安定した研究生活を保障された専門家が、文献史学の安全な範囲内で操作に終始して成果を得ていた。それに対して麻雀博物館が提起したのは、まだ未開拓で、危険も多いし失敗も恐れられるのであるが、文献史料からの情報に物品史料と関係者の伝聞からの情報も交錯させて麻雀史の実態に迫ろうとする、遊技史研究の未踏の冒険的な手法であった。その重心は、ほかならぬ古今の麻雀牌の情報の蒐集と分析にあり、それゆえに、研究の第一歩目は古牌そのものの蒐集と分析に置かれていた。だから、最近の専門研究者による研究において、従来の文献史学からの記述に加えて、物品史料を操作する叙述が増え、グロバー牌、ヒムリー牌、ウィルキンソン牌、キューリン牌、ローファー牌、ナガワ牌、ハイバラ牌という、麻雀博物館が初めて試み、発掘、蒐集にも努力して世に問うた古牌のラインナップと同様の展開が現れたことは、とても嬉しいことである。バブコックも井上紅梅 も、自分たちのしてきたことが再評価されて喜んでいるに違いない。
