ここで大きく脱線するが、「麻雀」と書いて「マージャン」「まあじゃん」と読むのは何語だろうか。「麻」は日本語では「ま」であり、これを「まー」と引き延ばすのは他に例が少ない。「雀」は「じゃく」であって、「じゃん」と撥音便化するのは他に例を見ない。そして、日本語の漢和辞典では、「雀」には、「すずめ」と「じゃく」はあっても「じゃん」という読みは表示されていない。一方、中国の中国語辞典では、「雀」には「チャオ」などの発音はあっても、「チャン」「ジャン」とする読みはない。つまり、「雀」という字を「じゃん」と読むのは、辞書上では日本語ではないし中国語でもない。東シナ海のどこかに沈んだ別の漢字使用国の言葉ということに なってしまう。あるいは、誤解に基づいてアメリカで通用していた「麻雀」を「Mah-jongg」とする撥音系の発音が、上海や北京に逆上陸し、なぜか「麻雀」という文字の正しい読みである「マーチャオ」に代わって通用するようになり、その「マージャン」という読み方が北京、上海、大連経由で日本に、まるで中国生まれの中国語のような顔をして上陸したというべきなのか。

平成十三年(2011)に、台湾の姚丞倫は、九州大学との共同研究で、「日本の麻雀用語による漢字表記語に関する一考察」[1]を著した。麻雀では、その用語として中国から多くの漢字表記が伝来したが、その読み方は、近現代中語、音読みの漢語、訓読みの和語、英語が入り乱れる不可思議な世界を形成している。姚はその構造、傾向を解析しており、示唆に富む論稿になっているが、肝心の「麻雀」という語その物の分析はなされていない。

日本に来る西欧系の外国人は、街中で、全国では数千、数万軒の「麻雀」「雀荘」「リーチ麻雀あります」などの言葉に接し、書店では、『麻雀放浪記』だの、『雀鬼』だの、『月刊プロ麻雀』だのの活字を見かける。新聞やテレビの字幕に「健康麻雀」と出される機会も増えた。ところが、その言葉の発音と意味を学ぼうと、漢和辞典を開いてもそこには「マー」もなければ「ジャン」もないから勉強は空しく中絶する。読みが分からないので国語辞典で意味を検索することもできない。

私は、以前に、日本の国語辞典における麻雀用語の普通語化を調査したことがある。周知のように、辞典の編集者は、市販されているさまざまな書籍や新聞に幅広く目を通し、そこから新語を拾い出して改訂版に挿入する。ところが、数次の改訂を経た時点でも、麻雀用語は驚くほどに収録されていない。「リーチ」や「テンパった」等もない。「満願」はあっても「満貫」はない。「今度の内閣改造では、厚生労働大臣と総務会長の両面待ちですね」は、両面を「リョウメン」と読もうと「リャンメン」と読もうと、いずれでも麻雀由来語だが、その説明はない。そして「雀荘」というやや差別的な、麻雀店、麻雀荘の経営者は不快に感じている蔑称だけが掲載されていることも多い。日本を代表する辞典を発刊している出版社の場合は特に顕著で、その社の「進歩的」な社風では「麻雀」のような不浄な賭博遊技に関する書籍や新聞はリサーチさえしないのかと驚き、呆れた。今回、なつかしの数十年前のメモを見直した。今となっては十分に校正する余裕がないので誤記、誤植を恐れるが、この文章の末尾に「(九)日本語辞典、漢和辞典における「麻雀」」として載せておく。笑えると思ってみて頂ければ幸いである。


[1] 姚丞倫「日本の麻雀用語による漢字表記語に関する一考察」『異文化を超えて―“アジアにおける日本”再考』、花書院、平成十三年、四一頁。

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