だが、周辺的な事実に関してはその後も研究の進展があった。まず、一九八〇年代に、スペイン、セルビア市にある旧植民地公文書資料館が所蔵するフロレス・カードへの研究者の関心が高まった。これは、スペインのカルタ屋、フランシスコ・フロレス(Francisco Flores)が制作したカルタであるが、スペインの植民地であったメキシコでカルタ課税に関する疑問が生じて一五八三年に植民地の政庁が本国に照会した際に、その資料として、四十八枚のカードを二十四枚ずつに分けて印刷した二枚で一組の未裁断の表紙(おもてがみ)と一枚の裏紙、計三枚が添付されていて、それがこのメーカーのカルタだったのである。この稀有な僥倖で公文書の綴りの中に挟まれて残されたフロレス・カードは、ドラゴン・カードとしては飛びぬけて古い世界最古の史料であるとともに、未裁断の表紙(おもてがみ)の状態で残されていたので一組四十八枚のカードがどれひとつ欠けることなくすべて残されていたという点でも史料として最高の価値があり、そこでの図像の特徴の多くが日本に伝来した南蛮カルタにも共通して見てとれるものであった。
そして、このカードの出現によって、龍の付くカルタがスペインでも制作され、アメリカ大陸の植民地にも移出されていたことが分った。フロレス・カードはメキシコとの関係が深いが、後に南米のペルーでもドラゴン・カードの残欠が発見されている。イギリスの研究者トレボー・デニング[1]は、この史料などを活用して、ドラゴン・カードはシルビア・マンらが言うようにポルトガルの専用カードなのではなく、スペインからイタリアにかけて栄えたアラゴン連合王国の領域一帯で作られていたものであると主張した。今日では、この理解が史実に適していると考えられている。
一方アジアでは、インドネシアのスラウェシュ島で今でもポルトガルの龍のカルタが遊ばれているのが発見された[2]。日本の民族学者、伊藤真の研究成果であり、後に私も現地に調査に入って遊技を見学し、使用していた手作りのカルタも入手した。ポルトガルのドラゴンが日本以外の土地でもわずかに生存していたという嬉しいニュースであった。
[1] Trevor Denning, 前引注9 “Spanish Playing-Cards”, 1980.
[2] 伊藤真「ウジャン・オミ-のカルタ遊び」『遊戯史研究』第三号、遊戯史学会、平成三年、四六頁。