「團團社」の『西洋遊戯骨牌使用法』の巻末には「大売捌」が列挙されている。「團團社」に協力して販売にあたった店である。初版では東京府内の本石町「上田屋」、横山町「辻岡文助」、南鍋町「兎屋誠」、馬喰町「山口屋」、薬研堀町「鈴木喜右衛門」、浅草三好町「大川屋錠吉」、南伝馬町「松成堂」、通三丁目「丸屋鉄次郎」など都心にある有名店が並んでいるが、再版では大阪府東区備後町四丁目の「團團社」支店、京都府寺町通松原下ルの「改進堂」、京都府河原町通二條上ルの「大黒屋書舗」、長崎市酒屋町の「安中與兵衛」、金沢市の「牧野作平」、名古屋市本町の「片野東四郎」、仙台市大町の「木村文助」などの店も挙げられていて販路の全国への拡大がうかがえる。なお、初版の一覧の末尾に銀座三丁目「上方屋」とある。花札でカルタ販売業のトップランナーの地位を築いた「上方屋」は、西洋のトランプについては「團團社」の販路の一端を担っていたのである。

上方屋・『西洋かるたの教師』

ところが、トランプが予想以上に売れると見るや、「上方屋」は自らがトランプを輸入して売り出すようになった。明治十九年(1886)九月には、「團團社」の教本に似せて『西洋かるたの教師』を出版した。これは「教本に似せて」などと表現してはいけないのかもしれない。内容は「團團社」の教本をそっくりそのままで採用しているのであって著作権の管理としては相当に問題であるように見えるが、「團團社」と「上方屋」の間での紛争や裁判の記録はまったくないので、これが原著者に無断の盗用であったのか、それとも「團團社」の了解を得て行った転載であるのかは判然としない。いずれにせよ、「上方屋」は「團團社」の教本を流用してトランプの商売に乗り出したのである。

上方かるた商店の店頭図

「團團社」の『西洋遊戯骨牌使用法』は表紙が厚紙でカラフルな挿絵になっていて定価二十銭であったのに対して、「上方屋」の『西洋かるたの教師』は、表紙は薄紙に黒一色という手軽さもあって定価八銭であった。この本の巻末の広告欄には、「西洋かるた 上等一円五十銭より下等十銭まで種々 トランプは英米佛国製造元へ直約を結び日本一手に大販売仕候 他店の候舶来小間物屋の如きとハ格別安價で賣出します」とある。教本は安価であり、実際はトランプ販売の添えものとして配布されることが多かったと思われる。次いで明治二十年(1887)には、「上方かるた商店」という名前で、半分はトランプの教本、半分は花札の教本という『骨牌使用法』(定価四銭)を発行した。同書の巻末にも広告欄があり、そこでは次のように語られている。

かるた(洋語プーレーグカアド)十銭ヨリ二圓迄

花(はな)かるたの面白味(おもしろみ)は皆様(みなさま)御承知(しようち)なれ共、西洋(せいやう)かるたの遊(あそ)び方(かた)を知(し)らざれは未開國(みかいこく)の人民(じんみん)か将(はた)下等社會(かとうしやくわい)の部類(うち)だと或(ある)紳士(しんし)がいはれしが如何(いか)にも金言(きんげん)といふべし。花(はな)かるたは全國中(ぜんこくちう)取引先(とりひきさき)のなき所(ところ)はなく、西洋(せいやう)かるたは未(いま)だ注文(ちうもん)なき縣下(けんか)もあり。注文(ちうもん)なき縣(けん)は人智(じんち)もおのづから未開(みかい)なり。遊戯(ゆうぎ)といへども知(し)らざれば中等(ちうとう)以上(いじやう)の人と交際(こうさい)をかくの憂(うれい)あれば、西洋(せいやう)かるたの使用法(しようほう)を極わかり易(やす)く圖畫(づぐわ)を挿入(かきいれ)、婦女児(ふぢよし)にもわかりやすくせし本(ほん)を西洋(せいやう)かるた御求(もとめ)之際(せつ)無代價(むだいか)にて差上升(さしあげます)から、世(よ)の中(なか)流行(りうこう)におくれざるよふ文明(ぶんめい)の中間入(なかまいり)をなし玉(たま)へ。(中略)●西洋骨牌教師三銭 ●同西洋綴六銭(後略)」

その後、明治二十年(1887)の年末に、「上方屋」はトランプの大売り出しを行った。それは全国五店舗で定価の半値売りをするという大胆なもので、大いに時流に受けたようである。その様子を『横浜毎日新聞』に掲載した、横浜の商館の広告の様に装って一ひねりした「上方屋」の広告から見てみたい。

「上方屋が商館へ盡せし勉強を感じ同店の応頼 半價売日延承諾 ●西洋かるた拡張半價安売の特約として、十一月十五日より同卅日迄かるた五萬個(一商館に一萬個づつ)上方屋へ半價拡張致させ候所、案外賣捌け、期限の卅日に至らざる内品切の由にて屡々本館へ荷廻し依頼されたれ共、最初より約定も有之事と館主に於て断然相断候所、上方屋主人出港の上、諸縣より郵券封入の注文信書数百個持参され、種々事故相語られ候に付、元より拡張心より使用本等を無代價にて景物に添られ候抔実に館主に於ても感じの余り、遂に依頼に応じ新荷の分と合計今五萬個を限り同店へ依頼候に付、半價拡張期限中同店へ御出あれ 十二月 横浜商館書記中」
上方屋・『遊戯大学』

この広告により、「上方屋」のトランプの仕入れ先の一つが横浜の「商館」であったことが分かる。当時の事情からすると、ここが有力な、あるいは唯一の仕入れ先であったと思われる。なお、明治二十一年(1888)四月に「上方屋」が「同店出版西洋かるた」について警視総監によって出版・発売を差し止められたと伝える新聞記事がある[1]。「同店出版西洋かるた」は「出版」とあるのでトランプそのものではなくトランプの教則本であることが分かる。それが『西洋かるたの教師』を意味するのか、『遊戯大學 一名かるたの使用』がか『骨牌使用法』を意味するのか、あるいは未発見の『西洋かるた』という書物であったのかは分からない。「上方屋」以外にこういう取締を受けた事例はないし、「上方屋」に対する規制を裏付けるような史料も残されていない。その意味で不可解な記事であるが、これはトランプの販売に対する社会的な規制の強化ではなく、「上方屋」が、たとえば「團團社」のような他の販売者との間でトランプの教則本に関して販売権や著作権などのトラブルになって警察に規制されたことのように見えるが、この記事以外は確たる史料がないのでこれ以上の詮索はできない。

いずれにせよ、こうして上方屋はトランプの販売に於いても最先端、最大手の業者になることができて、日本の近代かるた文化では、花札とトランプという両輪を動かす先駆者になったのである。だが、こうして上方屋が販売したトランプがどの国の製品で、どのような品質のものであったのかは記録に乏しい。ほとんど唯一の史料が上方屋の販売広告である。その中で、明治十九(1886)年四月の新聞広告を見ると、上等が一円で下等が十二銭、同年九月の広告では上等一円五十銭で下等十銭である[2]。これに比べると明治二十(1887)年の年末の半値大売り出しの広告は詳細で、英チャールズ製のゴム引総金で通常売値が一円五十銭の品が特売で七十五銭、米ニューヨーク製のゴム引七十五銭の品が三十七銭五厘、英ロンドン製の四方金二十五銭のものが十二銭五厘、同並物は十銭のところが五銭となっている[3]。ここにいう英チャールズ製であるが、イギリスにはこういう名称のカード・メーカーは存在しない。Charles GOODALL社のチャールズを姓と誤解してチャールズ社と考えた表記であろう。こう考えると、「上方屋」による当時の輸入ものでは、高級品はグッドオール社製、中級品はアメリカ製、普及品はイギリス製の安物というように理解できる。

なお、明治十八年(1885)の年末に「團團社」が発行した日本最初のトランプ遊技の解説書の表紙には六枚のカードが描かれているが、すでに上で検討したようにグッドオール社のものを模写している。また、この時期に、東京のおもちゃ絵制作業者が、子ども向けに一枚ものの「西洋かるた絵」を制作している。明治十九年(1886)の山崎版「志ん板西洋かるた」(翌年再版のものもある)、明治二一年(1888)の山口版「西洋かるたの絵」(部分)、同じく明治二十一年(1888)の加々吉版「新版西洋かるた」、刊年不明の伊勢辰版「新板西洋かるた画」などである。これらは、画像の特徴から、アメリカ製ないしベルギー製の安価なカードを模写したものと思われる。これらのカードが輸入されていた事情の間接的な証拠となる。

山崎板・「志ん板西洋かるた」
伊勢辰板・「新板西洋かるた画」

[1] 『朝野新聞』明治二十一年四月十八日、但し、『新聞集成明治編年史』七巻五三頁。

[2] 前田喜兵衛『花あわせ使用法』上方屋、明治十九年、十七丁。

[3] 前田多門『西洋かるたの教師』上方屋、明治十九年、四五頁。

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