「八八花」の大流行は、花札への大きな需要を生み出し、花札製作の大きなビジネス・チャンスが生まれた。カルタ職人が多数居住する京都、大阪が製作の中心地であったが、全国各地に拡散して、多くのメーカーが活動した。この段階で今日いうところの地方札は使用される現地での生産がほぼ出揃った。岩手県の花巻市、山形県の山形市、酒田市、新潟県の新潟市、東京都内(京都への下請制作委託)、名古屋市(京都への下請制作委託)、詳細は不明だが福井県内、京都府の京都市、大阪府の大阪市、兵庫県の神戸市、洲本市、徳島県の阿波町、岡山県の倉敷市などが知られている。また、京都では、「八八花」用のカード、「八八花札」の図像がほぼ一定のものに集約されて、大阪の「八八花」をしのぐようになったが、大阪風の図柄は、その後も残り、特に大阪の地方札である「虫花」の図柄としては圧倒的で、京都のカルタ屋も「虫花」を制作するときは大阪の「八八花」の図柄を踏襲した。

こうして今日伝わる花札の図像はほぼこの時期に完成された。その全貌は、「日本カルタ文化館」のウェブサイトのGALLERY欄に、「江戸時代~昭和時代 伝統の花札一覧」として全面的に公開されている。日本のカルタ研究史上では初めての試みであるが、ほぼ全種類の花札を網羅しており、その歴史がよく分かる。

京都製の八八花札(山内任天堂)
京都製の八八花札(山内任天堂)

ここで確立した京都中心の「八八花札」の図柄の特徴は、細かい点では何カ所もあるが、大きなのは①「梅」の札や「桜」の札の枝ぶりが定まったこと、②「藤に杜鵑」の札で、飛ぶ鳥の背景にあるのが太陽や満月であったのが三日月に定まったこと、③「萩に猪」の札の猪の半身像で後半身が魚の尾びれのような奇妙な形に定まったこと、④「菊」の札の杯の文字が「寿」に定まったこと、⑤「紅葉」の札の落葉の位置や色が定まったことなどであろう。特に変化が顕著なのが「柳」の札である。⑥「柳」の光物の札が夕立の稲妻の中を走る奴(やっこ)からしとしと降る時雨のような降雨の中にたたずんで蛙の跳躍を見る小野道風に定まった[1]ほか、⑦「柳」のカス札が真っ赤に塗られて大津絵風の「雷の太鼓釣り」の図柄が線描だけに後退した。これは、このカードが一種の切り札となったことと関連している。このほか、⑧「桐」の札にあった短冊が撤去されて、カス札が三枚になった。もっとも、その内の一枚は下部を黄色ないし赤色に塗って、これを十点札とする遊技法もあった。

京都では、各カルタ屋が共通の下請け職人を使っていて、多くのカルタ屋が、半完成のカードを共用の職人の家などの作業場に送って仕事をさせていたので、職人の製作現場で新しい変化が生じるとその職人に仕事をさせていた多くのカルタ屋のカードが一斉に同じように変わることになった。全国各地のカルタ屋は本場の京都での変化に追随したので、「八八花札」の図像が素早く全国に普及することになった。

ベルギー製の花札(上段:『ベルギー・カルタ史』、中段・下段:架蔵)
ベルギー製の花札
(上段:『ベルギー・カルタ史』、
中段・下段:架蔵)

大阪のカルタ屋は、元来は中央区日本橋の「綿屋喜兵衛」が東京銀座に「上方屋」を開いて花札ブームを起こしたので、東京、横浜を中心に普及していった「八八花札」の制作でも京都に先行していたのだが、生産規模の違いから結局京都風の図像に追随することとなった。元祖の「八八花札」図像は大阪の「虫花」に残ったが、大阪のカルタ屋は対外的な輸出にも熱心であったので、ハワイの花札、アメリカ本土の花札には大阪の「八八花札」図像の影響が残り、また、輸入にも熱心だったので、ベルギー製の花札にも大阪の花札が影響している。ただし、朝鮮や関東洲への輸出ないし移出は京都主導であり、「朝鮮花」や「大連花」は京都風の図像である。

朝鮮花札
朝鮮花札(花闘「三福」)
(日本骨牌製造、昭和前期)
大連花札
大連花札
(「松井天狗堂(大阪)」製、大正時代)

なお、この時期に、従来の花札で高点札に加えられていた金彩、銀彩が消えた。カルタ屋はこれを、旧来の花札は夜間に真剣な勝負をするときに照明の光を反射して相手に自分が高点札を持っていることを露見させるので、それを防ぐ工夫であると宣伝している。逆にすべての札に金銀彩を施して使用時にどの札もぎらつくように工夫したものもあるが、結局はコスト削減の意味もあって金銀彩が消えていった。「八八花札」には金銀彩はなくなった。

日本骨牌製造の花札での「兎の餅つき」図
日本骨牌製造の花札での
「兎の餅つき」図

このような経過で「八八花札」の図柄はほぼすべての制作者に共通のものとして成立していったのであるが、それでもいくつかの部分では制作者の見解の相違であろうか、独特なデザインが残った。京都の「玉田兄弟商会」、後に「日本骨牌製造合資会社」は「芒に満月」の札で、月の中に黄色で「兎の餅つき」の絵を加えた。同社はまた、光物の札に「光」を加え、京都の「大石天狗堂」もこれに追随した。あるメーカーの発案が他の業者の同意と追随を十分に得られなくて業界が二分されることもあった。京都の「田中玉水堂」というカルタ屋は、「藤」「菖蒲」「萩」の短冊札に「たてさん」という文字を加えた。ここに外注していた東京の「西村商店」の花札にも同じことが起きている。これは「八八花」の遊技法にある手役の一種「竪三本」のことで、最初に配られた手札の中に「藤」「菖蒲」「萩」の紋標のいずれかが三枚ある時は手役で加点されることを示している。また、この短冊カード三枚を集めれば「くさたん」という役になるルールの遊技法もあった。しかし、「田中玉水堂」のこの試みは他のカルタ屋の支持するところとならず、同社の廃業に伴って姿を消した。

田中玉水堂の「赤短」と「たてさん」
田中玉水堂の「赤短」と「たてさん」
西村商店の「赤短」と「たてさん」
西村商店の「赤短」と「たてさん」

[1] 前掲第一章注二一。

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