イザベラ・バード・ビショップ
イザベラ・バード・ビショップ

明治十年代(1877~86)の早い時期に、イギリスの女流旅行作家、イザベラ・バード(後の結婚後はイザベラ・バード・ビショップ)が日本を旅行している。バードは、まだ欧米人が足を踏み入れることが稀であった東北、北海道を訪れている。まだ欧米人による調査が行き届いていない早い時期に未踏の地を踏破した冒険の旅の記録は世界的に高く評価されているが、その“Unbeaten Tracks in Japan”(『日本奥地紀行』)[1]には、珍しく、『イロハかるた』の実見記が含まれている。日本人によるこのかるたの記録でさえごく稀なこの時期に、遊技の現場で実際に観察して書いた記録であり、かるたの近代化が始まる直前の姿を伝えてくれる。

Unbeaten Tracks in Japan
Unbeaten Tracks in Japan

バードがこのカルタ遊びを実際に見た時期は明治十二年(1879)、場所は青森県黒石温泉の宿屋である。この宿屋には子どもが十二人いて、暗くなると集まってゲームを始める。それが「イロハかるた」で、絵札が参加者に配られて、読み手に指名された子どもがことわざの書かれている読み札を読み、それに対応する絵札を持っている子どもが声をあげて出し、配られたカードを全部出せた子どもが勝ちになる。最後に負けたのが女の子であればわらしべを一本髪に挿され、男の子であれば顔に墨を付けられる。これがバードの見た光景である。この遊技法は、勝ち負けが札の読まれる順番次第という偶然任せのものであり、全国的にはあまり普及していないが、視点を変えて考えてみると、上級学年の子供が圧倒的に有利になる普通の遊び方よりも年少者にも勝つチャンスが多い遊技法であり、子どもたちの友好と弱者への配慮が考えられた遊技法であるともいえる。

バードは、この観察の後に、同行の通訳から、かるたに用いられたものなど、日本の格言を書いたメモを渡された。どれがカルタに採用されているものなのかは記述がないが、次の格言が挙げられている。参考までに列挙しておこう。なお、(  )に私の想像する本来のことわざの表記を加えた。

  人の話をすれば、その影が来る(うわさをすれば影がさす)
 
 三インチの舌は六フィートの人間を殺せる(三寸の舌に五尺の身を亡す)
 
 隣人を呪い、墓穴をふたつ掘る(人を呪わば穴二つ)
 
 猫に小判を与えるな(猫に小判)
 
 蠅は病んだ場所を見つける(臭い物に蠅たかる)
 
 心の狭い者は葦をのぞいて空を見る(葦の髄から天井をのぞく)
 
 ぐずぐずした者はライオンを見て矢を研ぐ(敵を見て矢を矧(は)ぐ)
 
 病は口より入る(病は口より入り禍は口より出づ)
 
 女が支配するとは雌鳥が朝をつげるようなものである(雌鶏うたえば家滅ぶ)

同書では、さらにその後に同じ通訳がことわざの本を持ってきて訳した話が続き、そこにも多数の格言が紹介されているが、かるたの遊技具としての記録からは離れてしまうので省略する。


[1] Isabella L. Bird “Unbeaten Tracks in Japan” 1880. P.366. イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行(上)』、講談社、平成二十年、岩波文庫、四四四頁。金坂清則『完訳日本奥地紀行2』、平凡社、平成二十四年、二一三頁。

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