花札は大日本帝国の陸海軍でも盛んに使用された。古く日清戦争の際に、戦地で花札を行商して大儲けした人がいた[1]。戦時には、兵士とともに物資の輸送などに当たる軍属、軍夫も大量に戦地に派遣されるので、こうした肉体労働者が慰安のために花札で遊ぶことが多かったようである。帝国陸海軍としても、これが公然とした賭博行為に発展しない限り黙認ということであった。戦前の軍隊生活の体験記などを見ると、至るところで花札を遊んでいたことが記録されている。また、秋山好古や山本五十六などの著名な軍人の花札の逸話も残されている。陸軍では花札が続いたが、海軍ではトランプも導入されて、将校、下士官などではこちらも使われた。

私が以前に入手したとても奇妙なカルタがある。軍隊での使用とどう関わるのかは知らないが、ここで紹介しておこう。このカルタは大正年間(1912~26)、京都の「カネ中」印、「日本骨牌製造」製の「軍艦花」という紙箱に入っている。通常の花札二組を収める紙箱よりも少し大ぶりでのこの紙箱の箱絵ラベルにはさらに「威風堂々、砲声○○」「弐個箱入金八拾銭」とある。箱の中には中箱はない。

軍艦花札
軍艦花札

この箱の中身が奇妙である。それは「壹」から「拾」までのカードと、「阡」のカード、「万」のカード、合計十二種類の札が十枚ずつ、合計百二十枚で構成されている。カードには、数を示す算盤玉のような模様があり、洋数字と漢数字でその数が書かれているが、漢数字は「壹」「貮」「參」「肆」「伍」「陸」「漆」「捌」「玖」「拾」「阡」「万」である。各々のカードに、「いち」「に」「さん」「し」「ご」「ろく」「しち」「はち」「く」「じう」「せん」「まん」と振り仮名がついているので、中国語ではなく日本語だと分かる。「壹」「貮」「參」「捌」「阡」「万」に最上級の金地の札があり、「肆」「伍」「陸」「漆」「玖」「拾」の最上級の札は銀色の算盤玉である。これと同じランクなのが「捌」(三枚)、「万」(三枚)である。次位の札は、「壹」「貮」「參」は各々三枚ずつで赤色の算盤玉であるが銀地であり、「陸」「玖」「拾」はくすんだ銀色の算盤玉であり、「肆」「伍」「漆」「阡」は赤色の算盤玉である。残りのカス札はどの数字でも六枚で、皆同じ紺色の算盤玉で、ただ「阡」のカス札だけが白色の算盤玉になっている。こうして見ると、これは実は花札のもじりで、一月から十二月までのところを「壹」から「拾」に「阡」と「万」を加えた物にアレンジして、カス札を二×三倍、「短冊」札を一×三倍にしたものであることが分る。「短冊」札は、「壹」「貮」「參」の「赤短」札、「陸」「玖」「拾」の「青短」札、その他の「短冊」札に区分けされているし、最上級のものは花札の「五光」札にどういうわけか「梅に鶯」に相当する札が格上げされているのである。これは、大人数で行う花札系の遊戯に用いるカードであり、あるいは、これが軍艦花なのであろうか。

まったく残念なことに、私が知りえているのは以上に尽きるのであり、このかるたの使用された時期や場所も分からない。そもそもこのかるたの名称が分からない。「軍艦花」というラベルの紙箱に収まっていたが、どういう関係にあるのかもわからない。一組の札の構成は分かったが、さて、どういう遊技法であったのかもわからない。札の数からして相当に多人数での遊技であろうと推測されるが、見当もつかない。使用されている文字情報から、中国の遊技との関連も考えたがわからずじまいであった。こうして情報を開示することで、将来の研究に役立ってくれれば幸いであるが、私自身としても、生きている間に情報を求める気持ちは切なるものがある。


[1] 横井圓二「戦時花札販売」『戦時成功事業』東京事業研究所、明治三十七年、四八頁。

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