昭和後期のかるた業界では、何社かの新規参入も含めて、さまざまな革新が試みられた。まず、基礎的なデータとして、この時期のカルタ屋を見ておこう。昭和前期(1926~45)以前からの伝統的なカルタ屋で、私が直接に関係者に話しを聞いたことがあるのは次のような業者、あるいはすでに店を閉じた元業者である。なお、断るまでもないが、調査できなかったカルタ屋は他にも何店もある。

「任天堂」(元・山内任天堂)(京都市)

「日本骨牌製造合資会社」(元・玉田福勝堂、玉田兄弟商會)(京都市)

「中尾清花堂」(京都市)

「臼井日月堂」(京都市)

「山城商店」(京都市)

「田中玉水堂」(京都市)

「田中商会」(京都市)

「大石天狗堂」(京都市)

「松井天狗堂」(京都市)

「土田天狗屋」(大阪市)

「松井天狗堂」(大阪市)

「ユニバーサル」(大阪市)

「小原商店本店」(大阪市)

「小出遊花堂」(東京都)

「西村商店」(東京都)

「チヱリーカード商会」(東京都)

「酒田仁天堂」(山形県酒田市)

「鶴田久太郎」(後に「大日本観光堂」)(岩手県花巻市)

このうち、「田中玉水堂」と「田中商会」は元々同じ経営体であり、また、「松井天狗堂」は大阪の同名のかるた屋と兄弟店で、大阪の店の方が本家筋で、京都の「松井天狗堂」は他のかるた屋の製品を委託で製作したりしていたが花札などを固有のブランドでも製作していたので戦前からの業者の数に入れた。また、東京の「西村商店」は大正期(1912~26)から花札を京都の「田中玉水堂」、「大石天狗堂」などに委託に出して製作させて、自社の包装紙で包んで販売していた。「小出遊花堂」は、戦後はむしろキャラクター物の「イロハかるた」でリーディング・カンパニーとなっており、「こいでのかるた」は売れ行きも好調であった。そのために、同社が経営の方針を誤って昭和四十年代(1965~74)に突然に倒産したときに「イロハかるた」業界が大混乱に陥ったことはすでに書いた。

一方、第二次大戦直後の賭博流行の気運の中で多くの新規業者が現れた。多くは流行が去ると消えていったが、以下のカルタ屋は高度成長期にかけて製作、販売にあたった。ただし、中には、実際の製作は京都のかるた屋に委託して自社のブランド名で販売するものがあり、東京の「金鶴商店」は岩手県花巻市に自社工場があった。なお、ここでも、カルタの現物にはお目にかかっているが、屋号が分かるだけで店名も所在地も分からない、まるで海賊出版物のようなカルタもあるし、もちろん、私の調査に漏れたカルタ屋も多数あると思う。

「株式会社龍天堂」(京都市)

「馬場共栄堂」(京都市)

「井上順天堂」(京都市)

「山中」(京都市)

「エース」(京都市)

「京都かるた」(京都市)

「田村将軍堂」(京都市)

「川北」(京都市)

「伊藤幸治商店」(京都市)

「精英堂」(京都市)

「玉井大黒堂」(大阪市)

「長谷川吉三郎」(大阪市)

「マル芳」(大阪市)

「菊水堂」(神戸市)

「仁壽堂」(奈良県奈良市)

「東洋骨牌」(滋賀県八日市市)

「大日本トランプ」(東洋骨牌改め・滋賀県東近江市)

「翁かるた本舗」(滋賀県東近江市)

「エンゼルトランプ」(翁かるた改め・滋賀県東近江市)

「マルエー」(岐阜県美濃市)

「岩田本店」(名古屋市)

「いせや工業」(名古屋市)

「ニチユー」(東京都)

「平凡企画」(東京都)

「清水白狐堂」(東京都)

「安藤商店」(東京都)

「金鶴商店」(東京都)

「遠藤商店」(福岡市)

「日本娯楽」(広島県尾道市)

「山崎琴水堂」(岡山県玉島市)、

Print Friendly, PDF & Email
おすすめの記事