さらに、こうした民俗学の偏向に影響されているのか、遊戯史、玩具史においてもかるたに関する研究が少ない。ここでは二例についてだけ触れておこう。第一は共立女子学園教授で児童文化を専門としていた半沢敏郎の『童遊文化史』[1]である。同書はB四判四冊で合計二千三百頁を超える大著で、別冊として画集一冊が附置されている。半沢はここでかるたについては特に力を入れて紹介していて、二百頁をこれに割り当てるという熱中ぶりであるが、その中で花札にはわずかに二頁が割かれるだけであり、その内容も、松とか梅とかいった花札のカードの画像の説明だけである。それは文末に「日本の四季感を満喫させる取り合せに感心させられる」という一文で締められているが、ここには花札が児童にどのように使われたのかという「童遊」にかかわる記述はない。また、カードの図像を説明する際には点数の表示が添えられているが、言うまでもなく花札の遊技では、時代、場所によってカードにさまざまな点数が与えられているのであって、遊技法の説明が一切ないままにカードの点数を表示されると、カードにはどのようなゲームであるかに関わらずに生まれつきの固有の点数が付着しているような説明となってしまい、歴史的な事実に反する無意味な説明になってしまう。結局のところ、『童遊文化史』では、いつごろ、どの地域にどのような遊技法があって、子どもが花札をどのように扱い、どのように楽しんだのかは全く説明されていないのであって、児童遊戯史における花札の取り扱いはこの程度に軽いものかと感じ入るだけである。

もう一点は大阪の骨董商、多田敏捷の『おもちゃ博物館⑤カルタ・トランプ』[2]である。同書もB四版で全二十四巻の大著であり、その第五巻はカルタ・トランプにあてられている。ただ、その中で花札については、一項目が与えられているものの三百五十字程度の簡略な説明に終わっている。その内容は、「花札の製作は、墨線を木版摺りし、その上に色別に作った型紙で、赤、青、黄の色を刷りこむ。絵ができあがると裏打ちをするが、その時の紙は、柿色と黒色の2種を用い、その2種をもって1対1組とする。また裏打のとき、紙の間に泥を塗りこんで、札に堅さと重味を与える」である。これはいつの時代の製作法なのであろうか。骨摺りを木版で行うというのだから、江戸時代から明治時代にかけての製作法のように見えるが、そうすると彩色が赤、青、黄の三色というのはいかにも粗末で、桃色がなければ桜の花も猪も描けないし、水色がないと藤の花も菖蒲の水面も柳の小川も描けない。普通は、カッパ摺りは六色というのが常識である。また、裏打のときに、紙の間に泥を塗りこんで札に堅さと重味を与えるというのも乱暴な話で、手摺り花札では、芯紙にする数枚の和紙を貼り合わせる際にその糊に砥粉を混ぜるのであり「泥を塗りこむ」では子どもの泥遊びと同じになってしまう。いずれにせよここでも花札はまったく軽視されているのである。


[1] 半沢敏郎『童遊文化史』東京書籍、昭和五十五年。

[2] 多田敏捷『おもちゃ博物館⑤カルタ・トランプ』京都書院、平成四年。

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