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(三)保存状態に疑問の多い「カルタ版木重箱」

天正カルタ版木重箱
天正カルタ版木重箱
(神戸市立博物館蔵、江戸時代初期)

次に検討するのは⑦の神戸市立博物館蔵の「カルタ版木重箱」である。これは大正年間(1912~1926)に永見徳太郎の南蛮文化品コレクションに属し、昭和前期(1926~45)に池永猛に譲られ、昭和後期(1945~89)に神戸市の所有となって今日に至っており、古くからの有名品であったし、山口吉郎兵衛は『うんすんかるた』中に拓摺りを四ページにわたって掲載したので研究史料としても広く活用されてきた。この版木の「ハウのキリ」は滴翠美術館蔵の現存唯一の天正カルタのカード、「ハウのキリ」と酷似していることもあって、初期の天正カルタに関する最も基本的な史料と位置付けられてきた。しかし、上の⑥「天正カルタ版木硯箱」が発見された今日では、こうした理解と評価を維持することは難しい。

まず問題なのはカードの大きさである。この版木のカードは縦六・三センチ、横三・四センチで、⑥「天正カルタ版木硯箱」より一回り小さい。そして、「オウル」紋標のカードを見ると、周辺部分の切り落としが⑥「天正カルタ版木硯箱」よりもさらに深刻で、このサイズのカードの縁を再度切り落としたことがわかる。つまり、⑦「カルタ版木重箱」のカードは、⑥「天正カルタ版木硯箱」よりも一時代下がるのである。⑥「天正カルタ版木硯箱」が国産カルタの第一世代だとすれば、⑦「カルタ版木重箱」は第二世代のものである。これをもって初期天正カルタのものとするのは誤りである。

次に、この版木の形態についても疑問が禁じ得ない。ここでは、四十八枚のカードのすべてに枠線があり、一見するとこれを摺ればそのままでカルタになる元来の版木の状態のように見える。だがこの枠線は重箱に仕立てた際の添木による装飾で、本来の版木のものではない。版木をよく見ると、三段の重箱のうち上段と中段の数札版木の箱は、下段の絵札版木の箱に比べて縦が二ミリ程度削り取られている。重箱に仕立てた際の見た目の落ち着きの良さに配慮したものであろうが、二ミリ削れば当然に枠線は消えるのにそれがなお存在し続けている。重箱への加工時に二ミリ削った後に別の木片を当てて枠線らしく工作した追加の工夫であるからこういうことになるのである。同じように、横に並んだカードとカードの間の仕切り線も、実際にカルタを制作する手順を考えると余計な邪魔ものである。実用的な⑥「天正カルタ版木硯箱」の版木には、上下にも左右にもこういう仕切り線、枠線はない。

また、この版木では、各紋標の数札は左から右に横並びに「二」「三」「四」「五」ないし「六」「七」「八」「九」と並んでいる。すでに見た⑥「天正カルタ版木硯箱」の縦並びの順序と比較するととても奇妙である。数字を横に並べたこと自体が近代の発想であるが、数字の並べ方も近代的で、長い紋標と円い紋標の間での並べ方の逆転もない。この配列には、江戸時代の賭博系のカルタ版木を数多く見てきた者としては当初から不思議な、近代的に過ぎるという違和感を受けていた。

こうした問題点が指し示すのは、この重箱が幕末か明治期(1868~1912)に近代的な思考の持ち主によって添木をされつつ重箱に仕立てられたという事情である。重箱は厚く漆がかけられているが、漆細工の具合からもこの時期の加工品であると判断される。

したがって、⑦「カルタ版木重箱」の史料的な価値は下がり、個々のカードの図像が第二世代の「三池カルタ」を示すということ以上にはない。とはいえ、四十八枚のカードの図像がすべてそろって残っていたのは幸運なことで、この時期の史料として十分に活用できる。

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