天正カルタ遊技図
天正カルタ遊技図(『松浦屏風』大和文華館蔵)

カルタの伝来は、本来はカルタ遊技の伝来である。それなしに、使用目的も使用方法もわからないままで遊技具のカードだけが伝わるという事態は考えにくい。そこで、日本にポルトガルのカルタが伝わっている以上、そこにはポルトガルのカルタ遊技も伝来していて、それが天正カルタの遊技法になっているはずである。それはどんな遊技法のものであったのであろうか。

残念なことに、天正カルタの遊技法に関する記録は極めて少ない。当時のヨーロッパのカルタ史に関する最近の研究成果からすると、①トリック・テイキング・ゲーム、②アディング・ゲーム、③コレクティング・ゲーム、④ゴー・アウト・ゲーム、⑤タロット・ゲームの伝来が想定できる。

このうち①のトリック・テイキング・ゲームは、四十八枚のカードを残らず参加者に配分して、各人が手中のカードを一枚ずつ出してその強弱を競い合い、最強のカードを出した者がその組(トリック)のカードを獲得し、順次、それを繰り返して、最も多くのトリックを得たものをそのゲームの勝者とするか、得たカードの点数を計算して最多得点のものを勝者とするゲームである。十六世紀のスペイン、ポルトガルでは四十八枚一組のカードを使うトリウムフォと呼ばれていたが、その後十七世紀に四十枚一組のカードを使って遊技するレネガドというゲームになり、フランスに入ってオンブルと呼ばれて世界的に大流行した。日本に伝来したのは一組四十八枚のカルタであるから、オンブルではなくトリウムフォが伝来した可能性は高い。ところが、この遊技法に関する記録はない。わずかに貞享三年(1686)刊の『雍州府志』に「合(アハセ)」として記録されているだけである。そして、その後日本では、遅くも元禄年間(1688~1704)までに一組七十五枚のカードを使ううんすんカルタの遊技法が誕生している。これがトリック・テイキング・ゲームなので、「南蛮カルタ」のトリウムフォが当初は「カルタ」という遊技名で遊ばれ、さらに天正カルタの「合(あわせ)」になり、さらにうんすんカルタの遊技になったと考えられる。

なおここで、オンブルについて補足しておきたい。オンブルは一組四十枚のカルタ札を使って三人でするトリック・テイキングの遊技である。これは十六、十七世紀の世界で最も人気のあった遊技法であり、ポルトガル船もそれに染まっていて、日本には伝来しているはずなのにその記録がない。わずかに『中院通村日記』の元和二年(1616)三月二十五日の項に、通村は外出先で泥酔して帰宅後昼寝をしたが、「睡眠之間興以来、三人カルタ打之」[1]、三人カルタを打ったという記述が見えるだけである。「三人カルタ」がどのような遊技法であるのかは説明がない。

邸内遊楽図(三人カルタ)
邸内遊楽図(三人カルタ)(江戸時代前期、
『遊びの流儀 遊楽図の系譜』)

ところが、令和元年(2019)、サントリー美術館の「遊びの流儀 遊楽図の系譜」展には、遊里でカルタ遊びに興じる男女を描いた邸内遊楽図が数点出品されており、その多くは、男女四人ないし五人で「合せ」や「読み」を楽しむ情景図であるが、摘水軒記念文化振興財団蔵の「邸内遊楽図」[2]には、男一人、女二人、合計三人でカルタ遊びに興じる場面が描かれている。この三人で遊ぶカルタ遊技を描いているのはこの一例だけである。私の知る限り、江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)のカルタ遊技図は、四人ないし五人の遊技者で「合せ」や「読み」の遊技を楽しむ遊興の場面を描くものがほとんどで、「かぶカルタ」系を別にすれば、三人での遊興場面を描くものはまず見たことがない。「遊びの流儀 遊楽図の系譜」展の遊楽図は珍しい。

それならば、ここで、三人の遊技者はどういうカルタ遊技を行っているのであろうか。参加者は各々五、六枚の札を手にしており、二人の膝元に各々、裏面を上にした札が数枚積まれている。左手の女性の膝下では、札は縦横に重ねられていて2トリックと示されているように見える。こういう取り札が描かれているので、「読み」遊技ではない。画面全体で描かれている札の数が少ないので遊技法を確定的に説明できないが、一見してトリック・テイキング・ゲームの遊技風景のように見える。そして、「合せ」であれば四、五人の参加者を描くのが普通であり、三人であるから、これは三人で遊技するオンブル系のトリック・テイキング・ゲームだと理解されるのである。そうすると、これは一人が九枚ずつのカードを持って始まるゲームで、すでに3トリック進み、奥の若い男性が1トリック、左の女性が2トリックを獲得し、彼女が第4トリックをリードしようとしている場面であるか、一人が十三枚ずつ手にして始まり、奥の男性が2トリック、左の女性が2トリックを獲得し、右の男性が獲得した4トリックの札は陰に隠れて見えないという場面であるかということになる。

この想定が正しいとすれば、この図像は、オンブル遊技が日本に到来していたことを示唆する初出の史料ということになる。初期カルタ史の謎の空白が少し埋まる、上に紹介した元禄年間(1688~1704)頃の手描き木版天正カルタ(三池カルタ)の札三十七枚の発見に勝るとも劣らない大発見であり、この展示会は研究史に残る貴重な業績となっている。ただし、こうした図像の解釈には様々な留保がありうるのであり、ここで述べてきたこともいかにも史料の裏付けに乏しい話であるから異論はありうる。私の報告はここまでとして、今後の研究に期待したい。

なお、すでに天正カルタのカードについて検討した際に、火焔龍をもつ手描きの大型の天正カルタがあり、この火焔龍がうんすんカルタに伝わり、さらに九十六枚一組の「すんくんカルタ」では、手描きのものにも、木版のものにも引き継がれていることを指摘した。逆算すると、トリウムフォを伝えたポルトガルのカルタには火焔龍があったのではないかと推測される。火焔龍のある②天正カルタは「カルタ」という遊技、後の呼称では「合(あわせ)」の遊技に用いられたものだと考えると落ち着く。

②のアディング・ゲームは、最初にカードを配布された参加者が、必要に応じて追加のカードの配布を要求して、特定の組み合わせの役ないし高得点になるカードの組み合わせを競い合うゲームであり、日本では天正カルタを使う「カブ」系統の遊技として流行した。この遊技法については史料が多数残されており、またゲームそのものが今日まで伝承されている。ただ、史料の示すところによれば、江戸時代前期(1652~1704)には早くも、十五の数を頂点とする「シンゴ」「キンゴ」系の遊技と、九を頂点とする「カブ」系の遊技が併存している。同時期に、この二通りの遊技法がともにポルトガルから伝来したと考えることはもちろん不可能ではないがいかにも不自然であり、両者は時期を違えて伝来したのか、あるいは「カブ」系の遊技法は中国で発祥したもので伝来の経路が異なるのか、なお検討すべき課題がある。

③コレクティング・ゲームは、現代の遊技でいえばラミーや麻雀がそうなのだが、参加者は配布された数枚のカードの中から不要なものを捨てたり必要なカードであることを願って追加を請求したりして特定の組み合わせにすることを競い合う遊技法である。日本には、この種のコレクティング・ゲームの遊技法に関する史料は残されておらず、どのように伝来したのか、あるいは伝来しなかったのかが分からない。

④ゴー・アウト・ゲームは、すべてのカードを参加者に配分し、一定のルールでお互いにそれを出し合い、早く出し切ったものを勝者とする遊技である。天正カルタでは「読み」と呼ばれる遊技法が最大に流行し、カルタの遊技といえば「ヨミ」と考えられるようにまでなった。この「読み」が、どのようなゲームに由来するのかは分かっていない。

⑤タロット・ゲームは、当時のヨーロッパで大流行しており、日本に伝来しなかったとは考えにくいのであるが、その史料も記録も残っていない。タロットはこのゲームに固有の、七十八枚前後のカードを使うものであるので、一組が七十五枚で枚数として近いうんすんカルタの遊技法がそれではないかとずいぶん調査されたが、肯定的な答えは見つかっていない。

天正カルタ遊技図
天正カルタ遊技図(NHKドラマ「真田丸」)

以上の外に、平成二十八年(2016)のNHK大河ドラマの「真田丸」に、三池カルタ館で復元した天正カルタを二組同時に使って「神経衰弱」の遊技を秀吉、淀、真田幸村が行う場面があって驚いた[3]。史実としては確認されていない。こういう遊技法が当時あり得なかったとは断言できないが、トランプで行う「神経衰弱」に比べればはるかに難度が高く、存在していた可能性はとても低い。


[1] 前引『大日本史料』第十二編之二十六(復刻版)、一六六頁。

[2] 『サントリー芸術財団50周年 遊びの流儀 遊楽図の系譜』サントリー美術館、令和元年、三九頁。

[3] http://karuta-rekishi.com/1364/

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