四 「三池カルタ」の復元 (八)外箱製造の追加 「三池カルタ」の復元作業では、当初は、予算の関係で収納箱は制作できなかった。だが、それではさすがに寂しいし、せっかく出来上がったカルタがかわいそうでもあるので、後年になって、松井に依頼して桐の木箱を制作した。もともとの三池カルタは紙包みであったと思われるので、桐箱は歴史の逸脱に思えてためらったが、将来の所蔵者たちの保管の便宜を優先して、多分歴史にないであろう収納箱を製作した。そのためにこのカルタは木箱入りの状態で通用しているが、歴史的に考えられたものではない。
二 十九世紀の麻雀牌(プロト・マージャン) (五)ウイルキンソンの麻雀牌 グロバーやヒムリーよりも少し遅れて中国のマージャン牌を欧米に紹介したのが、ウイリアム・ウイルキンソン(William Wilkinson)で...
1-2 鎖国日本への来訪者が見た日本のカルタ 四 ブロンホフ(Jan Cock Blomhoff)・その二 ブロンホフは、文化十四年(1817)にオランダ商館長に昇格して再度来日して、文政七年(1824)に次期の館長と交代して帰国している。この在任...
五 かるた、カルタ史研究の高まり (三)研究者のコミュニケーションの進展 平成期になると、研究者間のコミュニケーションが前進した。「日本かるた館」の活動が低下した後を継いだのは「かるたをかたる会」であり、平成年間(...
二 自由花札の時代の様相 (三)花札のデジタル化、花札遊技のデジタル化 これに加えて、デジタル社会の驚異的な発展に伴い、インターネット上に多数の花札遊技サイトが登場した。そこでは、もちろん伝統的な花札図像を用いる...
一 「絵合せかるた」の発祥 (四)「譬えかるた」史研究の進展 絵合せかるたに関する山口吉郎兵衛の研究を継いだのは息子の山口格太郎である。山口格太郎は、昭和四十年代(1965~74)以降に、雑誌のかるた特...