四 「三池カルタ」の復元 (八)外箱製造の追加 「三池カルタ」の復元作業では、当初は、予算の関係で収納箱は制作できなかった。だが、それではさすがに寂しいし、せっかく出来上がったカルタがかわいそうでもあるので、後年になって、松井に依頼して桐の木箱を制作した。もともとの三池カルタは紙包みであったと思われるので、桐箱は歴史の逸脱に思えてためらったが、将来の所蔵者たちの保管の便宜を優先して、多分歴史にないであろう収納箱を製作した。そのためにこのカルタは木箱入りの状態で通用しているが、歴史的に考えられたものではない。
三 「百人一首歌かるた」の動向 (三)競技かるたの登場と展開 明治年間(1868~1912)に、大人の間では、正月にかるた会を催して男女が共にこれを楽しむ習慣が盛んになり、当時としては数少ない若い未婚の...
三 空前の花札ブームの到来 (一)明治二十年代、花札の流行 「上方屋」前田喜兵衛の冒険が成功して花札の販売の合法性が確認されると、たちまちのうちに広く全国で花札の遊技が大流行した。もちろん、その背景に...
一 「絵合せかるた」の発祥 (一)『雍州府志』が書き漏らした「絵合せかるた」 江戸時代前期(1652~1704)の基本文献、『雍州府志』を読んで困惑する一つのポイントは、それが江戸時代初期(1603~52)、前期(16...
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (六)女性向けの「家族合せ」 「食道楽家族合せ」 こうした「家族合せ」の経過を背景にして、ここで取り上げたいのは、村井玄斎『食道楽(くひだうらく)』を題材にした「食道楽家...
二 骨牌税適用外の「かるた」の消長 (三)「歌合せかるた」の展開 昭和後期(1945~89)の社会では、「百人一首歌かるた」は、なお正月中心の家庭遊戯のツールとして使われていたが、社会の変化、家庭の変化の中...