うんすんカルタの歴史、とくにその遊技法の歴史がよく分からない理由の一つが、文献史料の不足である。これまでに明らかになったものでは、江戸時代中期(1704~89)の大田南畝『半日閑話』[1]と江戸時代後期(1789~1854)の山崎美成『博戯犀照』[2]、『耽奇漫録』[3]の三件であるが、後二者は『半日閑話』の述べる遊技法の記事を写しつつ、山崎美成が「古きうんすんカルタに添えありし書付」の情報を足したものである。以上に尽きて他に遊技法に関する江戸時代の良い史料が見出せないことははなはだ残念であるが致し方ない。その後、昭和前期(1926~45)には阿部徳蔵『とらんぷ』[4]が、また昭和後期(1945~89)には松田道弘『トランプものがたり』[5]が遊技法の解明に努力したが、「オンブル」系の遊技法であることが確認されたものの、詳細はなお明らかでない。

ここでは、まず、『博戯犀照』、『耽奇漫録』に紹介されている、古いカルタに添付されていた書付の内容から見ていきたい。それは次の内容である。

「すん うん そうた きり むま むし(虫) 右の外ぼうはいつれにても數多きかたへ取也。丸き物は數すくなき方へ取申候。何れもおき次第にて勝負いたし候。まき候て残りをおきと申候。おきに御座候虫を持候者より打出し申候。おきはたがひにふせ候てさし申候。おきを互にさし候ても人のつき候方へ取申候。人にてもおきにて御座なく候へば丸きものにてもぼうにても其時々のおきの方取申候。何れにても繪の付次第、互にさし候て勝負致申候。此書付は古きうんすんかるたに添有し候よし。」(表記は『耽奇漫録』に依った。句読点を適宜補った)。

ここで分かることの第一は、札の名称と序列である。「すん、うん、そうた、きり、むま、虫」である。「スン」が「ウン」より上位であること、ドラゴン・カードが「ロハイ」ではなく「虫」であることが注意を引く。数札の序列は明記されていないが、「ぼう」(「ハウ」と「イス」)は札に描かれた「紋標数」の数の多い方が上位で、「丸きもの」(「コップ」「オウル」「グル」の三紋標)は数の少ない方が上位である。

第二に分かることはうんすんカルタの遊技法である。ゲームの参加者の数は記載がないので分からない。最初に参加者に札を配分し、最後に残った札を「おき」にする。「おき」は切り札のことで、最後に残した札を表に返して、その札の紋標の札を切り札とするのである。ゲームは、まず、「おき」の種類の「虫」を持っている者が打ち出し始める。以下、参加者が自分の手札から打ち出す(指す)のであるが、「おき」の札の場合は裏返しにして出す。「おき」がかち合った場合は人の絵のある札を出した方が勝って札を取る。人の絵でも、「おき」でもない札の場合は「おき」を出した者が取る。いずれにしても、この遊技は絵のつき次第で互いに出し合って勝負をすることになる。

『博戯犀照』には『半日閑話』からの転載もある。こういう内容である。

まず、札の名称と序列であるが、「古きうんすんカルタの書付」と異なって「第一 うん五枚 布袋 福禄寿 大黒 恵比寿 達磨」と「うん」が最強である。これに次ぐのが「第二 すん五枚 唐人ノ黒冠スル者皆すん也。」である、以下強い順に「第三 そうた五枚 異国人ノ如キモノ」「第四 ろはい五枚 また虫とも云 飛ノ如キモノ」「第五 こし五枚 武者ノ如キモノ腰ヲ掛ル体」「第六 馬六枚 共ニ馬ニ乗ル躰ナリ」「花九枚 棒ノ先ニ花ノ付シ形也 ろはいニ花ノ付シヲ貴ム是ヨリ打出ス也」「ぐる九枚 太鼓ノ模様付ナリ グルのウン太鼓ニ達磨 余ハ是ニ准ス」「おふる九枚 ◎如此モヨウおふるノウンハ恵比寿也、同前」「こつふ九枚 寶包ノ如キモノ也こつふノウンハ布袋」「釼九枚 利釼ノモヨウ也、ウンハ福禄寿」「惣而丸キ物ハ數少キをよしとす長キものは員多きをよしとす 惣七十五枚」である。「古きうんすんカルタ」がいう「虫」は「ろはい」になっており、「きり」は「こし」になっている。「馬」は六枚となっている。印象としては、大田南畝の記述の方が「古きうんすんカルタ」の書付よりも古めかしい。また、うんすんカルタでは、五枚の「ロハイ」の外にもう一枚「花」の「ロハイ」がある。最初の札の配分でこの第六の「ロハイ」を得た者が「打出ス也」と書かれているから、「馬六枚」は「馬五枚」、「ろはい五枚」は「ろはい六枚」の単純な書き間違えであろう。

遊技法であるが、参加者が三人の遊技法が述べられている。最初の札の配分の際に一枚取り置いて、配分後にそれを表に返して紋標を見る。その紋標の札をそのゲームでの切り札、「きゝもの」とする。「古きうんすんカルタ」の「おき」に相当する。参加者は、手札の中の「きゝもの」を人に見せないように取り分ける。手札の中に「花」の「ロハイ」を持った人がそれを打ちゲームが始まる。他の二人が最初は状況の偵察なので軽い札を出すのだが、例えば一人が「花の三」を出し、もう一人が「釼の三」を出した時は、「花」の「ロハイ」を打った者は三番目の打ち手として「釼の五」を打ってそのトリックを取り、三枚を重ねて自分の膝の前に置く。次のトリックは、右隣の人から始める。これを繰り返し、長いものは「紋標数」の多い札を出した者が取り、丸いものは少ない札を出した者が取る。そのうちに手札が少なくなるので取り分けておいた「ぐる」の「きゝもの」の札を出す。「きゝもの」同士では勝負になるが、ほかの紋標の札では相手にならない。その後、「さす」という打ち方が行われることがある。手札の中の人か虫の絵のある札を裏返しで出すことで、他の二人は、ただの数札を捨てるか、自分も人か虫の絵のある札を「さし」て裏返しで出し、全員が出し終えたら開いて勝負する。相手が「馬」でさした時にそれより上の「コシ」でさし返せば勝てる。この順で、「ウン」をさせばこれに勝つものはいない。こうしてすべての札を取り合い、多く取った者が勝ちである。

こうして、文献史料からは、うんすんカルタが、三人で行うトリック・テイキング・ゲームであること、札に強弱があること、ゲームごとに変化する切り札があること、などが分かったが、発生史を解明するような史料的な価値のある遊技法の情報は見出せなかった。とくに、七十五枚のカルタは、三人で遊技するにはいささか過剰な枚数であり、本則はもっと多人数で行う遊技であったと思われるのに、その情報がないことが史料の欠缺を強く意識させた。


[1] 大田南畝「半日閑話」『日本随筆大成新装版』第一期8、吉川弘文館、平成五年、二一一頁。

[2] 山崎美成「博戯犀照」『続燕石十種第一』、國書刊行會、明治四十一年、二三一頁。

[3] 山崎美成「耽奇漫録」『耽奇漫録上』、吉川弘文館、平成五年、三二六頁。

[4] 阿部徳蔵『とらんぷ』、第一書房、昭和十三年、九八頁。

[5] 松田道弘『トランプものがたり』岩波新書一〇二号、岩波書店、昭和五十四年。

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