五 山路閑古の「めくりカルタ」研究

私は、2-4で江戸中期の読みカルタを検討した際に、古川柳研究者として高名な山路閑古、本名萩原時夫のめくりカルタ研究について論及した。ここでもそれを繰り返して指摘しておきたい。

古川柳
『古川柳』
(日本古川柳学会、昭和二十二年)

山路は、昭和二十二年(1947)に、日本古川柳学会の機関誌『古川柳』に、「めくりかるた考」[1]という論文を発表した。江戸時代の川柳には、めくりカルタをもじった作品が多数存在するので、このかるたについて知識がないと川柳の意味するところやその面白さが理解できないことになる。しかし、昭和前期(1926~45)までは、カルタ史はまったく特殊な研究領域であって、ほとんどの者が先人のわずかな研究業績を丸写しするような議論しかしていなかった時期であり、山路はさぞかし困惑したことであろう。だが、山路が特筆するべきなのは、この困難にたじろぐことなく、自身で研究に着手し、その成果を他の古川柳研究者と分かちあえるように川柳研究史に掲載したことである。、敗戦後の社会的な混乱の中で何かと研究環境の不備、不足も多かったであろう中で、(一)から(四)までの連載で述べた気迫、先人の業績を素直に読み謙虚に活用する姿は、一読して感動的であった。

山路は、実はめくりカルタ札の実際を見たことがなかったようである。したがって山路は、文献の研究に謙虚に取り組んだ。その際に山路が依拠したのは、史料では『博奕仕方風聞書』、『博技犀照』、『和漢三才圖會』、文献では、宮武外骨『賭博史』、尾佐竹猛『賭博と掏摸の研究』、新村出『南蛮更紗』、岡田朝太郎『寛政改革と柳樽の改版』といった定番の書籍である。古川柳研究は文献史料を扱う研究領域であり、そういう学界での研究手法が生かされている。

山路の論考は、今日の研究水準から見れば問題だらけの、まさに『うんすんかるた』登場以前のレベルであるが、それにも関わらず大事なのは、文献史料に接する際の研究者の姿勢についてゆるぎなく教えてくれていることである。山路は、本名萩原時夫として、化学者の仕事をこなす一方で、難解な江戸古川柳の研究に勤しみ、多くの論考を物にし、また、この研究世界をリードしていた。科学者らしく研究データには謙虚に接し、データの語るところに耳を傾け、偏見も先入観も持たずに古川柳の作品に接し、カルタの文献史料に接する山路の研究姿勢には今日でもなお学ぶべき面がある。

私は、もし、山路に直接に接する機会があれば、お互いに、素直に、そして謙虚に、自分の抱えるめくりカルタ史における疑問を述べて、議論をしてみたかったと思う。山路は「合せカルタ」の遊技法について全く知ることがなく、読みカルタとめくりカルタで江戸時代の賭博系のカルタを考えていたので誤解も多いが、合せカルタについて情報を提供すれば、山路とは意外と簡単に共通の理解に達することができたのではないかと思う。逆に、私の抱える疑問点についても議論の中から鮮明な歴史像が得られたのではなかろうか。山路は、私にとって敬愛する先人の一人であり、同志である。


[1] 山路閑古「めくりかるた考(一)~(四)」『古川柳』第一巻第四号~第九号、日本古川柳学会、昭和二十二年。

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