江戸時代の江戸に「いろは地口かるた」の遊技があった。少なくとも文化、文政期(1804~30)にはすでにあった。それはどんなものだったのであろうか。「いろは地口かるた」の遊技にかんする記録は見たことがないので、カードの内容を紹介しておきたい。
『翟巣漫筆』の「いろは地口」は次のような内容である。『翟巣漫筆』は読みにくい書きぶりであり、文字が解読できても何をもじったのか、原句が分からないものもある。そういう場合はカッコ内を空欄にしておいた。
「伊呂波地口」(『翟巣漫筆』、慶應二年)
「いまさらやうかん物見の松」(熊坂長範物見の松)
「ろ」(欠)
「はば□た大はまぐり」(不詳)
「に」(欠)
「ほていしゆがるすでかぎたまばかり」(御亭主が留守でかみ様ばかり)
「へ」(欠)
「とう人につりかね」(提灯に釣鐘)
「ととさまは馬鹿な女郎買かかさまはおやめと申ます」
(父様は阿波の十郎兵衛かか様はお弓と申します)
「ちやじんかみなり火事おやじ」(地震雷火事親爺)
「り」(欠)
「ぬ」(欠)
「る」(欠)
「をゝぎに団扇お茶でも上れ」(大きにお世話お茶でも上れ)
「わ」(欠)
「かにが具足で枕をなげた」(なにが不足で枕を投げた)
「よ」(欠)
「たるま滝の水」(鳴るは滝の水)、
「たまごのまひ」(玉藻の舞)
「たをれさうだ秀さと」(俵藤太秀鄕)
「れ」(欠)
「そこほりさけのある男」(そこは情けのある男)
「ついたて十文字」(一日十五日)
「ねこに碁盤」(猫に小判)
「ながいもつくいも恋の道」(可愛いもつらいも恋の道)
「ら」(欠)
「むすめ開帳へいつて蛤となる」(雀海中に入って蛤となる)
「うすあか弁慶」(牛若弁慶)
「ゐ」(欠)
「のどがかはくの水車」(淀の川瀬の水車)
「おなきな人の目はさくら」(大宮人の庭桜)、
「おおふまには□どんわう」(不詳)
「くらがへの女郎あおざめ」(熊谷次郎直実)
「やんまはり」(按摩針)
「まつだけぶらさげ」(松風村雨)、
「まうさうねると正月だ」(もういくつ寝ると正月だ)
「けんの下には鬼義太夫」(縁の下には斧九太夫)
「ぶしのおうちゃくまうこれぎり」(不詳)
「こ」(欠)
「え」(欠)
「てんじんしちやへ自身ござる」(天神七代地神五代)
「あんまに杖ないどうよくな」(あんまりすげない胴欲な)
「あかさかのばかやろう」(あかさたなはまやらわ)
「さ」(欠)
「き」(欠)
「ゆらの舟おそかつたはゆい」(由良之助遅かったはいな)
「め」(欠)
「みづ汲むおやじ秋の夕暮れ」(いずこも同じ秋の夕暮れ)
「しいたけがってんじや」(聞いたか合点じや)
「ゑ」(欠)
「びしや門天のなぬし」(飛車も打てんか)
「ひのもとげんじゆう太夫」(清元延寿太夫)
「も」(欠)
「せんせい八両ためたな」(鎮西八郎為朝)
「す」(欠)
欄外に
「いねむりのいなりさま」(初音森の稲荷様)
「かきもち横ぐわへ」(不詳⁺)
「おおくわゐ」(おお怖い)
「おかめの奥方たゝずみ」(岡部八郎太忠澄)
「しやうじ屏風あわわ」(ちょうちちょうちあわわ)
とある。