江戸時代に、「いろはかるた」が大人の遊技具として多彩に存在していたとすると、念頭に浮かぶのは江戸の人々の過剰なまでの娯楽世界を構成していた、庶民文芸、芝居見物、寺社詣での旅行、そして性娯楽である。だから、「ことば遊びかるた」があるのならば、同様に、「芝居見物かるた」や「旅行かるた」や「遊郭かるた」の遊技があってもよい。
江戸時代、芝居とかるたの深い関係を理解していたのは演劇評論家の戸板康二である。戸板は「いろは譬えかるた」のカードではその文言や図像に芝居の場面が使われており、逆に、芝居の台詞に「いろは譬えかるた」のカードの文言が数多く登場することを指摘している[1]。「いろは譬えかるた」に採用されている「粋が身を食ふ」のカードの図像は文樂の演目『夕霧阿波鳴渡』の「吉田屋」の段での藤屋伊左衛門のポーズである。「論より証拠」の図像は藁人形を見つけて突きつける奴の芝居の場面を思わせる。逆に、「老いては子に従ふ」は『野崎村』の久作の台詞に使われ、「嘘から出た誠」は『假名手本忠臣蔵』七段目の由良之助とおかるとのやりとりに登場する。
この戸板の説明に力を得て「芝居遊びかるた」遊技の史料をさがしていると、歌舞伎の芝居を主題にする「絵合せかるた」も多く制作されていたことが分かった。それは「芝居遊びかるた」としてグループ化することができる。なかでも「忠臣蔵かるた」の遊技は人気が高く、そのカードも数多く制作、販売されたと思われる。このほかに、「芝居遊びかるた」には、役者を四十八人揃えたブロマイド風の「役者かるた」、役の名前と筋書き、所作を四十八人揃えた「筋書きかるた」、役の台詞を四十八人分揃えた「声色かるた」、客席からのかけ声の「鸚鵡石(おうむせき)かるた」などのカードがあった。少し広く歌舞伎以外の演劇に枠を取れば、高級手描きの「能かるた」「狂言かるた」「謡曲かるた」も含まれることになる。こうした「芝居遊びかるた」はこの時代の大人が楽しんだかるた遊技の主役であり、そのカードも活発に出版されていたのである。この「芝居かるた」についてはすでに3-5で扱ったのでこれ以上の説明は省略する。
[1] 戸板康二『いろはかるた』駸々堂ユニコンカラー双書第三一号、駸々堂、昭和五十三年、五九頁。