本章の冒頭で触れた『ことわざ歌留多』を書いた昭和三十六年(1961)当時、鈴木は「いろはかるた」研究のトップランナーであった。鈴木がもし『翟巣漫筆』を読み誤ることなく、「地口かるた」、ひいては江戸時代の「文芸かるた」「ことば遊びかるた」に関心を持ち情報収集のアンテナを張っていれば、この豊かな江戸のかるた文化を見逃すことはなく、「ことば遊びかるた」群に関して私のこのウェブなどより遙かに有意義な論考を物にしたであろうと思うとき、小さな誤解で大きくつまずく歴史研究の難しさ、怖さを痛感するのである。
江戸時代の「ことば遊びかるた」の遊技に通底している特徴は何か。私はそこに「見立て」「もじり」「やつし」「地口」「駄洒落」が花咲いている様子を見ている。こうした「ことば遊び」は江戸時代の遊技文化全体の大きな特徴である。そして、それは遊技文化という枠を超えて、日本の文化の基本的な特徴としても指摘することができる。つまり江戸時代のかるたは、南蛮世界から伝来したカルタのカードという形式を借りながら、日本文化の中心的な部分を映し出していたのであり、「ことば遊びかるた」の遊技はそのさらに中枢にあり、いわば日本のかるた文化の粋であったのである。このこと強調して、「ことば遊びかるた」の復権を主張したい。