三 日本での遊技史研究者との交流

私は昭和四十九年(1974)に日本に帰国した際に、すでに国際カード協会の会員であった兵庫県芦屋市の山口格太郎を訪ねて挨拶とともに教えを乞い、その縁で「日本かるた館」の会合にも参加するようになった。その時期はちょうど日本でもカルタ・かるた史研究が盛んになっていて、山口格太郎、森田誠吾、村井省三、佐藤要人らの活躍が目立っており、私は彼らの仕事からとても多くのことを学ぶことができた。日本国内でのカルタ・かるた史研究の勃興期に立ち会えたこともとても幸運であったと思っている。

そして、昭和五十三年(1978)秋、東京新宿の小田急デパートで滴翠美術館所蔵の名品展の展示会が開催された折に、私が「国際カード協会」(I.C.P.S.)の日本支部代表になっていた関係で発起人になって、山口格太郎を会長に迎えてI.C.P.S.日本支部としての「かるたをかたる会」を設立した。ここには、当時すでに活動を休止していた「日本かるた館」の村井省三らの同人が移動してくるとともに、この文章中でもすでに何度か登場している、東京の横山恵一、奥野伸夫、佐藤重和、遠藤欣一郎、半澤敏郎、愛知の内藤金吾、鳥居市松、浅見了、京都の松井重夫、大阪の谷岡一郎、兵庫の増川宏一、松田道弘、その他多くの人々も参加した。難しい議論ばかりではなく、自由に放談し合い、コレクターも参加していたので、時にはオークションまがいの企画を行ったりもした。各人のその後の大活躍を思えば、当時お互いに無名の研究者、コレクター同士がこの会で初めて知り合ったような次第であったが、多くの優秀な研究者やコレクターの人々とネットワークができたことも極めて幸運であったと思う。また、同会の活動の一環として、海外から日本に来る研究者を歓迎して国内を案内した。イギリスのシルビア・マン、ジョージ・ハットン、ヤシャ・べレジナー、ドイツのデトレフ・ホフマン、アメリカのウェイランド夫妻、その他多くの知人、友人が来日した。来訪者は、日本にはドラゴン・カードが生き残っていたという歴史ロマンを実感し、その遺品を買い求めていたが、京都には任天堂もあるし、十六世紀に海外から伝えられた当時のヨーロッパの手作りカルタの制作法を今に伝える松井天狗堂の松井重夫もいた。その工房を案内するときがクライマックスであったと思う。松井の手業を実際に見学して、タイムカプセルで十六世紀に降りた時空旅行者のように感嘆しない研究者はいなかった。ただ、私のセットした強行スケジュールなので、かるた関係はよく見ることができたものの、富士山は新幹線の窓越しにチラ見だけ、京都の高瀬川沿いの松井天狗堂の小さな作業部屋は知っているが御所も金閣寺も知らず、日本料理の美味も体験せず、奈良の大仏も大阪城も見ないで出国する羽目になってしまったのだが。

その後私は、平成年間(1989~2019)の初期に、遊戯史学会の設立発起人の一人となり、日本人形玩具学会の設立にも関わり、その縁で、北村哲郎、小林すみ江、熱田公、その他多くの研究者と交流を持つことができた。その後平成年間(1989~2019)三十年に及ぶ遊戯史研究の場で、さらに多くの研究者と知り合い、また、平成初期(1989~99)に、福岡県大牟田市立三池カルタ記念館の設立、運営に深く関わり、同じく竹書房が千葉県夷隅町に設立した麻雀博物館の顧問に就任して関わり、前者の関係では現地福岡県の前田研一、野口晋一郎、後者の関係では大隈英夫、竹書房の野口恭一郎らと活動を共にした。さらに、こうした機会に、タロット、郷土かるた、麻雀などの私にとっては未知であったさまざまな領域の研究者や、なかよし村や日本健康麻将協会のような遊技実践者グループとも交流を持つことができた。平成期(1989~2019)のカルタ・かるた史研究をけん引してきた二大学会のどちらでも活動できたし、また、二大研究拠点であった両博物館の活動にも協力できたことになるが、こうした機会を得られたことはいずれも極めて幸運であった。そして、まったく個人的なことだが、私のかるた道楽に半ば呆れながらも精いっぱい理解して付き合ってくれていた家族や優しい人たちに出会えたことも、私の側からは大したお返しも出来なかったが、感謝に耐えない。

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