四 ロシアのカルタ (二)伝わらなかったロシアのカルタ 日本は幕末期 (1854~67)に開国し、日本海交易の拠点として函館、新潟が開港され、外国人の居住、日本人との混住がはじまった。北海道では、さらに、小樽港が交易の拠点となり、日本とロシアとの交流が盛んになったが、函館にロシアのカルタが伝来した記録は見つからず、その遊技法も知らない。一方、新潟は開港したものの、外国人の来... 館長
四 ロシアのカルタ (一)ベーリング艦隊の探訪船が残したロシアのカルタ札 十八世紀のロシアのカルタ 江戸期の日本で奇妙な伝来を遂げたのはロシアのカルタである。日本はロシアとの交易は行っていなかったが、日本の領土の北辺ではシベリアへの東進を進めてきたロシアとの接触があり、とくに海難事故で漂流した日本人がロシア側に救助されてロシア領に上陸して、その地域でロシア人の日常生活に触れ、カルタの遊技を見... 館長
三 オランダのカルタ (二)林子平が伝えた「阿蘭陀加留多」 こうして江戸時代の鎖国期におけるオランダのカルタの伝来は実証されたのであるが、この史料は模写物であり、どこでだれが使用したのか、あるいは単にブロンホフが所持していただけで使用歴がないものなのか、関連する文献史料が欠けているので判断がつかないという大きな弱点があった。模写物ではなく、実際に日本国内で使われたオランダのカル... 館長
三 オランダのカルタ (一)宇田川榕庵が模写した「和蘭闘牌」 宇田川榕菴模写のカルタ(文政四年、津山洋学資料館蔵) ポルトガルのカルタに次いで、オランダの対日貿易が始まると、そのカルタも日本に伝来している。オランダのカルタ文化はフランスのそれから濃厚に影響を受けており、フランス式のカルタ、つまりクラブ、スペード、ハート、ダイヤの四紋標、五十二枚で構成されるもの、あるいは、構成は同... 館長
二 ポルトガルのカルタ (八)鎖国後のポルトガルのカード 寛永年間後期(1634~44)の鎖国の完成後は日本へのポルトガルのカルタの伝来は途絶えた。カルタの遊技は、しかしすでにその時までに日本社会で十分に人気を得ており、カードの制作方法も遊技法も伝来したカルタの文化から徐々に変化して日本化しており、元禄年間(1688~1704)など何回かの熱狂的な流行を経てしっかりと日本文化... 館長
二 ポルトガルのカルタ (七)日本語「カルタ」を無視した『日葡辞書』『羅葡日対訳辞書』 日葡辞書(慶長八年) 『日葡辞書』は、よく知られているように、十六世紀末期に来日したイエズス会の修道士たちによって編纂され、慶長八年(1603)に公刊された木版の日本語、ポルトガル語の辞書であり、約三万二千語を収録している。これは当時の日本語に関する第一級の史料であり、収録されている語を通じて当時の日本社会の諸事情が明... 館長
二 ポルトガルのカルタ (六)日本に伝来した「南蛮カルタ」の発見 令和三年に、「幻の南蛮カルタ」の探索は、新史料の発見に伴い、新たなステージを迎えることとなった。日本にカルタの遊びが伝来したのは戦国時代の十六世紀後半、ポルトガル船の来航の時期である。この遊技に用いる一組四十八枚のカルタ札は、以前はポルトガル船だから備品のカルタも当然にポルトガル製のものと考えられていたが、昭和後期にベ... 館長
二 ポルトガルのカルタ (五)ベルギー・アントワープ市でのドラゴン・カードの発見 アントワープのドラゴン・カード 1980年代にベルギーのアントワープ市で日本のカルタ史の理解に大きく影響する発見があった。十六世紀後半に建てられた古い教会の立て直しで建物を解体していたところ、壁紙の芯に古いカルタの印刷されたシート状の紙が再利用されているものが二枚発見されたのである。シートは三七・五センチ×二七センチで... 館長
二 ポルトガルのカルタ (四)ドラゴン・カードは地中海、アラゴン連合王国の文化 こうしてドラゴン・カードはポルトガルの専売特許ではないということになると、あらためて関心を集めたのが南イタリア地方のカルタにも龍の絵が有ることである。ヨーロッパでは、1377年の記録にアラビアからイタリアにカルタが伝来したという記事があり、それがカルタ史の始まりとされているが、ほぼ同じころにカルタはイベリア半島にも上陸... 館長
二 ポルトガルのカルタ (三)ドラゴン・カードはイベリア半島全域に広がっていた 「ハウのコシ」と「イスのコシ」(スペイン、バスク地方の祭風景) だが、周辺的な事実に関してはその後も研究の進展があった。まず、一九八〇年代に、スペイン、セルビア市にある旧植民地公文書資料館が所蔵するフロレス・カードへの研究者の関心が高まった。これは、スペインのカルタ屋、フランシスコ・フロレス(Francisco Flo... 館長
二 ポルトガルのカルタ (二)ポルトガルのドラゴン・カードのアジアへの進出 『ポルトガルのドラゴン』 (1973年刊) この山口の研究をさらに進めたのが1970年代のイギリスの研究者シルビア・マンとアメリカの研究者ヴァージニア・ウェイランドの研究であった。両名は、十六世紀、十七世紀の大航海時代に世界各地に広まったイベリア半島のカルタのうちでポルトガルのカルタのみが四枚のエースの各々に龍の絵が描... 館長
二 ポルトガルのカルタ (一)日本に伝来した「南蛮カルタ」はポルトガルのカルタ カルタは十六世紀にポルトガルの交易船の船員によって日本にもたらされた。だが、その事実はどこにも記録されておらず、また、江戸時代の鎖国の時期に長崎でオランダ人がもたらしたと誤解されるようになり、それは明治時代(1868~1912)、大正時代(1912~26)になるまで継続した。 こうした状況を改めさせたのは言語学者、文献... 館長