(五)備前花札と阿波花札

最後に、備前花札と阿波花札(金時花札)について一言しておこう。備前花札は任天堂の製品一覧にも登場する地方花札であり、岡山県の現地でも制作された。岡山県では岡山市に「三木」というカルタ屋があったと伝承されているが、現地の人の話では、若山牧水の門下生、岡山生まれの服部白風が昭和五年に帰郷して、京都で習い覚えた花札の制作を始め、十一年に小料理屋「三休」を開業してそこでは盛んに花札が遊ばれていたが、その「三休」は元々は「みきゅう」であったのがなまって「みき」とよばれるようになったのであって、「三木」というのはカルタ屋ではない、ということであった。そうだとすると、ここで制作されたものはむしろ本場京都の製法に倣った八八花札であったように見える。

備前花札は、業界では和歌のない越後花札と言われている。実際に、任天堂のポスターの図像を見ると、越後花札と備前花札は瓜二つに似ている。ただし、「和歌のない越後札」というのは、和歌を廃した武蔵野という意味であろう。備前花札は、東京の関東花札の影響を受けたのか、それを作り始めた明治二十年代の京都のカルタ屋の影響を受けたのか、どちらかであろうが、いずれにせよ、花札の歴史では晩期武蔵野の時期に枝分かれした比較的に若い地方花札である。

これに近いのが阿波花である。これは、四国で使われていた地方花札であり、図像は、大分デフォルムが進んだ武蔵野であるが、和歌はすでに一部の文字だけに減じており、しかし他方で柳の生き物札は小野道風である。明治中期(1887~1903)の図柄であろう。阿波花札は、鬼札が熊に跨る金時なので「金時花」とも呼ばれていて、瀬戸内海を挟んだ岡山県でも制作されている。備前花や金時花の制作地は、岡山市内と思われていたが、「三木」の伝承の実際が判明したのでその可能性は低い。それに代わって私が注目するのは倉敷市内のカルタ屋であり、「小野」が制作した明治中期の備前花札が発見されている。これと京都の任天堂の備前花との先後の関係は分からない。

越後花と備前花(右:越後花、左:備前花、任天堂製品ポスター、明治後期)

 

阿波花・文字付札と小野道風札(上段:大石天狗堂製、下段:笑和堂製、昭和前期

 

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