舞楽合せかるた
舞楽合せかるた(所蔵者不明、『江戸の遊戯』)

以前に『王朝のあそび』で、「舞楽かるた」が紹介された[1]。舞台芸能の絵合せかるたにいかにも似つかわしい美麗なものであり、内容は、「納曾利(なそり)」「採桑老(さいしゅうろう)」「貴徳樂(きとくらく)」「胡蝶(小手府・こてふ)」「遣城樂(けんしやうらく)」「白濱(はくひん)」「胡徳樂(ことくらく)」「春庭花(しゆんていか)」「崑崙八仙(ころばせ)」「胡徳の仔(ことくのこ)」「胡蝶の仔(こてふのこ)」など、右方、左方の演目が広く組み込まれている。同誌の解説文によれば札のサイズは八・二センチ×五・八センチである。掲載されている写真を見ても既使用感がないので、遊技用というよりは鑑賞用で大事に保管されてきたものと思われる。

ただ、所蔵者は明らかにされておらず、後に、並木誠史『江戸の遊戯』で同一のかるたが掲載された際にも所蔵者に関する情報は示されていない[2]。そもそも、開示が部分的で、制作された時期、図像を描いた絵師、かるた一組を構成する札の枚数なども分かっていない。「舞楽かるた」は、皇室関係のごく一部の人々に好まれた例外的で希少な品なのか、それとももっと広い範囲で遊技具として成立していたのかも分からないのであるが、それでも絵合せかるた史からは強い関心がもたれる。

舞楽かるた
舞楽かるた
(大聖寺蔵、 『王朝のあそび』、
江戸時代中期)

「舞楽かるた」としては、この他に、京都の大聖寺が所蔵する、舞い踊る姿の絵札と演目の字札を合せるタイプのものが紹介されたことがある[3]。これの場合も、大和絵の美麗な画像が写し出され、札のサイズが一〇・五センチ×七・五センチと示されるだけで、それ以上のことは分からない。そして、この二点の外には、物品史料も文献史料もほとんど未発見であり、残念であるが研究が進められていない。実態がよく分からない絵合せかるたと言えば、他に「謡曲絵合せかるた」もある[4]が、いずれについても今後の研究課題である。

ただ、ここまでの探索と考察から、江戸時代初期(1603~52)ないし前期(1652~1704)に、舞台芸能を主題とする手描きの高級な絵合せかるたが多様に存在していたであろうことが推測できる。この伝統の中から、江戸時代中期に歌舞伎役者の図像を持った手描きの「役者絵合せかるた」が成立し、江戸時代後期には、さらに、いろは順に整序された「芝居遊びかるた」や「言葉遊びかるた」が成立した。この大筋はある程度見えている。今後の研究の足掛かりはできたように思える。


[1] 朝日新聞社『王朝のあそび』、同社、昭和六十三年、二九頁。

[2] 並木誠士『江戸の遊戯』、青幻舎、平成十九年、七〇頁。

[3] 前引注1『王朝のあそび』、二八頁。

[4] 前引注1『王朝のあそび』、三〇頁。

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