一 「古筆手鑑」「歌仙手鑑」という出版物の発祥 (四)江戸時代初期の名筆鑑定書の意味すること 小野於通(おつう)は江戸時代初期(1603~52)の有名な文化人であり、書もよくして「於通(おつう)流」という日本最初の女筆の幕を開いたほどの人物であるが、元禄九年(1696)よりはるか以前に死去しており、この歌仙手鑑に自分で筆を走らせたのではない。琴山の鑑定書が於通(おつう)本人の真筆であると判定したのであれば誤解し... 館長
一 「古筆手鑑」「歌仙手鑑」という出版物の発祥 (三)「歌仙手鑑」の先例 「歌仙手鑑」の古い例では、世阿弥光悦の書と土佐光茂(みつもち)と推定される土佐派の絵師の歌人絵で成り立つ版本の『光悦三十六歌仙』がある。この本が制作された寛永年間(1624~44)には土佐光茂(みつもち)はすでに死去しているので、版本の歌人画の版下は光茂(みつもち)ではない土佐派の別の絵師が描いた事態が想像できる。これ... 館長
一 「古筆手鑑」「歌仙手鑑」という出版物の発祥 (二)狩野探幽の挑戦 狩野探幽他『百人一首手鑑』(右上・ 天智天皇、左上・持統天皇、下・式子内親王、『歌留多』) 百人一首の「歌仙手鑑」としては、狩野探幽が弟子を動員して制作した『百人一首手鑑』が古くから有名である。これには、鷹司関白左大臣房輔らの公家の能筆家の書があり、絵は、天智天皇、持統天皇、後鳥羽院、順徳院等、二十名の重要人物は探幽自... 館長
一 「古筆手鑑」「歌仙手鑑」という出版物の発祥 (一)「古筆切」、「古筆手鑑」、「歌仙手鑑」の流行 江戸時代前期に歌人画像付きの百人一首かるたが考案され、人気を得て普及したが、その基になったのが、世阿弥光悦筆の『三十六歌仙』画帖、角倉素庵筆の『百人一首』画帖、尊圓流の筆の『尊圓百人一首』などの長方形の「歌仙手鑑」である。当時の日本には、満州族という異民族支配を嫌って難民となってやってきた、長江沿岸地域の工芸職人が多く... 館長