三 江戸中期まで盛んだった歌貝(續松)遊技 (四)吉田家伝来百人一首かるたは合せ取る歌貝・續松遊技の仕様 こうして、吉田家旧蔵かるたの正体についてある程度の推測が可能になる。このかるたは高級な手描きのものであるが、京都の二條通り周辺のかるた工房で制作されていたこのレベルの高級かるたでは元禄年間(1688~1704)に裏紙が銀色紙からより一層豪華に見える金色紙に代わっている。しかし、本品はなお銀色紙であるので、元禄年間(16... 館長
三 江戸中期まで盛んだった歌貝(續松)遊技 (三)歌意図の食い違いと書家の関与 問題はこの先にある。かるた札は一対の上の句札と下の句札を、前者を右に、後者を左に隣接させて並べて見ると、図像が見事に連続しており、元々かるた札二枚分の大きさの一枚の紙に歌意図を描き、それを二つに裁断してかるたに仕立てたことが分かる。ところが、百対のうち三十対以上で、左右が入れ替わり、図像の右半分の札に下の句が、左半分の... 館長
三 江戸中期まで盛んだった歌貝(續松)遊技 (二)かるた工房で制作された職人技の作品 そこで、このかるたについて観察を深めたのであるが、まず、これが全く個人的な思い付きで制作された一点限りの素人作りのものではないことを確認しておきたい。個人の好みで自家用に制作されるのであれば、いわば何でもありの状態であるから歌意図を加えることを思いついて実現させる可能性はあるが、その場合には、札の作りがいかにも素人っぽ... 館長
三 江戸中期まで盛んだった歌貝(續松)遊技 (一) 歌貝(續松)仕様の百人一首かるた(吉田家旧蔵)の出現 江戸時代中期(1704~89)、後期(1789~1854)の百人一首かるた遊技の盛衰を扱う上で外せないのが、歌貝(續松)遊技の衰退である。これは、江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)には百人一首かるた遊技の最も人気のある遊技法の一つであったのに、江戸時代中期(1704~89)に消えていった。その後... 館長