5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 八 「百人一首歌合せかるた」の主役化 延宝年間(1673~81)以降に歌合せかるたが京都の町で流行したが、それは同時に、「古今和歌集歌合せかるた」「三十六歌仙歌合せかるた」「自讃歌歌集歌合せかるた」などを上回って「百人一首かるた」が主役に飛躍した時期でもあった。もともと江戸時代初期の歌合せかるたでは、当時の和歌享受の文化そのものがそうであったように、古今和... 館長
5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 七 「歌合せかるた」との新名称は寛永年間以降 『毛吹草』 (松江重頼、正保二年) ここで一つ整理しておきたいことがある。それは日本式のかるたがかるたと呼ばれるようになったのはいつからかという問題である。私は『ものと人間の文化史173 かるた』で、海外から伝来した「カルタ」と日本で考案された日本式の「かるた」の歴史を書いた。カルタは安土桃山時代に日本に伝来して流行し... 館長
5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 六 「かるた」という語は忌避されたのか 吉海のかるた貝覆起源説にはもう一つ、奇妙な付属物がある。貝覆の後身である歌かるたはいとも雅な遊技であるから、賭博のイメージのある「カルタ」という用語が忌避されたというのである。これも古い時代の俗説で、史実ではない。ところが、貝覆起源説を唱えた吉海は、伊勢市の講演で、「『カルタ』(賭博のイメージ)という用語の忌避 1、語... 館長
5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 五 貝覆起源説の崩壊 その後、吉海は「歌かるた伊勢市発祥説」を伊勢市以外の場所では開陳することがなかったが、平成二十年(2008)の自著『百人一首の世界』では、歌かるた伊勢起源説を「こういったまことしやかな説明によって、歌かるたの起源が捏造されたと考えているのです」と切り捨てた。驚くべき転向、大幅な改説である。ただ、この説になお未練があった... 館長
5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 四 歌合せかるたの「貝覆」起源説 このように、「しうかく院」考案説が少しずつではあれ関連資料の発掘、研究で前進してきたのに対して、それ以前に通説であった、江戸時代初期、前期(1603~1704)の歌合せかるたは、平安時代から続いていた貝覆の遊技が、安土桃山時代のポルトガルからのカルタの伝来に影響されて、用具が貝殻から紙片に変化して成立したという貝覆起源... 館長
5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 三 初期「歌合せかるた」は小型色紙 江戸時代初期(1603~52)の「歌合せかるた」について、それが長方形であるとした史料は存在しない。むしろ、和歌を正方形に近い色紙に書く文化の伝統があったのだから、分かち書きする二枚の色紙も「かるたほどの大きさの正方形に近いもの」と考える方が自然である。実際、江戸時代初期の奉納額は例外なく横幅が縦の長さの八十パーセント... 館長
5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 二 「しうかく院」考案説の証明 「小野小町物合歌」 「古今の札」については、しかし思いがけない進展があった。私は、平成十年代(1998~2007)になって、東京の古書店で、江戸時代初期の『小野小町物合歌』と題する貼り込み帖を発見した。「小野小町物合歌」は在原業平と小野小町が問答歌を交わしたという架空のフィクションの歌集であり、業平と小町という有名人の... 館長
5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 一 歌合せかるたの起源、「しうかく院」考案説 今日、「百人一首歌合せかるた」(以下、「百人一首かるた」と略記)の発祥に関して最も重要視される研究は、日本文学史研究者中村幸彦が昭和四十五年(1970)に俳句の同人誌『冬野』に寄稿した文章「雅俗漫筆(一)歌がるたの始め」で明らかにした「しうかく院考案説」である。この文集には誤植が少なからず存在するが、後に昭和五十九年(... 館長