三 時雨殿の『百人一首手鑑』、『百人一首画帖』 (四)『百人一首手鑑』における女性歌人像の混乱と史実 『時雨殿本3』と『時雨殿本14』がどのような経緯で時雨殿の所蔵に帰したのかは購入の情報が公開されていないので分からないが、両者を見比べると制作された時期が近接するものに見える。そして清原雪信は元禄年間(1688~1704)に活躍した絵師であるから、『時雨殿本14』の成立時期をそれ以前にすることは無理である。それなのに、... 館長
三 時雨殿の『百人一首手鑑』、『百人一首画帖』 (三)『百人一首手鑑』も『百人一首画帖』も一般市場向け製品 また、『時雨殿本3』には、百枚の絵札の各々に絵師の落款がある。江戸時代初期(1603~52)にはこういう例は少ない。こうした例の初出は、売り出し意欲の強かった江戸狩野派の狩野探幽や狩野安信が江戸時代前期(1652~1704)に制作した百人一首歌人絵であろうか。百枚の絵の画帖で各ページに落款を加えるのは上品とは言えない。... 館長
三 時雨殿の『百人一首手鑑』、『百人一首画帖』 (二)『百人一首手鑑』(『時雨殿本3』)の歌人像は元禄年間 『時雨殿本3』の肝心の歌人画に移ると、まず各歌人の図像の下に配置されている上畳の縁の描写がとても奇妙で、「院」の名が付く上皇はすべて無畳で臣籍の者と同じ扱いである。「天皇」の名が付く三名では、天智天皇は茵(しとね)、持統天皇は上畳、光孝天皇は無畳であるこのように天皇、皇族をちぐはぐに扱った例は知られていない。長谷川派の... 館長
三 時雨殿の『百人一首手鑑』、『百人一首画帖』 (一)『時雨殿本3』、『時雨殿本14』の出現 清原雪信『百人一首画帖』 (時雨殿蔵、右より、天智天皇、持統天皇、 後鳥羽院、順徳院、江戸前期) 京都市の時雨殿には、同館が所蔵する百人一首画帖が二点ある。『画帖資料番号3百人一首手鑑』(以下、『時雨殿本3』)と『画帖資料番号14百人一首画帖』(以下、『時雨殿本14』)である。同館はこれらを同館のホームページ上で公開す... 館長