三 ポルトガルのカルタの遊技法 (六)カルタ遊技場面と慶長年間制作説の是非 大和文華館の学芸員として成瀬の後輩になる林進は、平成三十~三十一年(2018~19)に「国宝『婦女遊楽図屏風(松浦屏風)』の再評価〔前編〕〔後編〕」を表して、矢代の慶長年間(1596~1615)制作説を再評価している。論文の付記に依れば、林は、平成十六年(2004)年に未完成で終わった草稿を、自分の怠惰を反省して十二年... 館長
三 ポルトガルのカルタの遊技法 (五)「松浦屏風」の絵師をめぐる新たな謎 紋標コップのソウタ(右:天正カルタ・三池カルタ歴史資料館、左:松浦屏風・大和文華館) なお、その後、平成三十年(2018)になって、小田茂一が、まったく新しい着想でこの屏風絵を解析した。小田は、カルタに興じる右側の遊女がまとう打掛が「三つ巴紋」であることに注目した。「三つ巴紋」自体は古くから存在していたが、ここでは、元... 館長
三 ポルトガルのカルタの遊技法 (四)「松浦屏風」のカルタ遊技図像の解析 しかし、問題はむしろこの外にある。まず、京都においては、慶長年間(1596~1615)にはカルタ遊技はまだ新奇な遊技であり、公家の中院通村が友人の大名から教わってカルタ札を特注で制作させて遊んでいた記録のように、ごく一部の武家や公家の間で遊技に供される程度である。この中院通村の記録はすでに紹介したように、日記中の元和二... 館長
三 ポルトガルのカルタの遊技法 (三)「松浦屏風」のカルタ札図像の解析 カルタ遊技図郵便切手(松浦屏風、大和文華館蔵、江戸時代中期) 成瀬論文までの議論の応酬は、主として画題の衣裳を取り上げて検討したものであるが、別の視点から成瀬の問題提起に応じた指摘が登場した。漆工史研究の近藤利江子は画中資料の硯箱の描写を分析し、「実際に描いた時期と、絵の中に表現しようとした時期が異なっていると解釈する... 館長
三 ポルトガルのカルタの遊技法 (二)カルタ遊技史料、国宝「松浦屏風」の登場 江戸時代初期(1603~52)のカルタ遊技の研究において必ず参照されるのが、奈良県奈良市の大和文華館蔵の国宝、六曲一双の「婦女遊楽図屏風」(以下、「松浦屏風」)である。当時大流行した「邸内遊楽図」は遊里での男女の交際の姿を描くものであるが、「松浦屏風」は慶長年間(1596~1615)の遊女の姿を群像として描いたものであ... 館長
三 ポルトガルのカルタの遊技法 (一)ポルトガルのカルタの遊技法 天正カルタ遊技図(『松浦屏風』大和文華館蔵) カルタの伝来は、本来はカルタ遊技の伝来である。それなしに、使用目的も使用方法もわからないままで遊技具のカードだけが伝わるという事態は考えにくい。そこで、日本にポルトガルのカルタが伝わっている以上、そこにはポルトガルのカルタ遊技も伝来していて、それが天正カルタの遊技法になって... 館長