二 「舞台芸能かるた」の変化 (三)その後の「舞台芸能かるた」 江戸時代後期(1789~1854)以降の「舞台芸能絵合せかるた」としては、まず、木版の歌舞伎役者かるたがある。江戸の歌舞伎のかるたは江戸で作られ、上方の歌舞伎に関するものは、京都、大坂で作られた。それについては、後に項を改めて詳述する。 これ以外の「舞台芸能かるた」については、史料が散逸していてよく分からない。古書市な... 館長
二 「舞台芸能かるた」の変化 (二)江戸時代中期の「役者かるた」 宝暦年頃役者かるたいろは文字合せ(『清水晴風手控え帳』) ところが、最近になって、明治時代(1868~1912)の「玩具博士」清水晴風が好事家集団集古会の展示会に他の会員から出品されたかるたを模写した手控え画帳を観る機会があり、そこに「宝暦ノ末頃役者かるたいろは文字合九十六枚の内 安田君所蔵」と書かれた絵札九枚が模写さ... 館長
二 「舞台芸能かるた」の変化 (一)「役者かるた」の登場 江戸時代中期、享保年間(1716~36)以降に「舞台芸能絵合せかるた」に大きな変化があった。歌舞伎役者への関心が強まった享保九年(1724)に、大名の柳沢家の重臣の家系に生まれて文武両道に秀でていた柳沢里恭(さととも)(淇園(きえん)、当時二十歳)が甲府と江戸での彼自身の見聞を記した『ひとりね』を表した。同書には、博奕... 館長