五 「芝居遊びかるた」の展開 (三)「声色かるた」 第三のグループは、歌舞伎の役の台詞を四十八人分揃えた「声色かるた」である。嘉永年間(1848~54)の一陽斎豊国画、都澤板「いろはたとゑ」(その1、その2、その3)とされたかるた絵を見ると、「い」の字札には「義経腰越状」(よしつねこしごえじょう)(鉄砲場)の泉(いずみ)三郎の台詞「いかにごとう今ひびきたるてつぽうは(い... 館長
五 「芝居遊びかるた」の展開 (二)「筋書かるた」 次に、第二のグループとして、役の名前と筋書き、所作を四十八人揃えたかるたがある。私は仮にこれを「筋書かるた」と呼んでいるが、これには「芝居所作かるた」とか「役割かるた」と呼ぶこともできるものも含まれる。具体例としては画工、版元ともに不詳だが幕末期(1854~68)の「筋書かるた(仮題)」(その1、その2、その3)がある... 館長
五 「芝居遊びかるた」の展開 (一)「役者絵かるた」 それならば、江戸時代後期(1789~1854)に成立したいろは順の「芝居遊びかるた」としてはどのようなものが存在していたのか。第一のグループとしては役者絵のミニチュア版のような「役者絵かるた」がある。参考例として三代豊国が嘉永四年(1851)以前に描いて、江戸日本橋堀江町の版元「伊場仙」から「教訓いろはたとゑ」と題され... 館長