三 歌仙絵画の変遷に関する誤まった解釈の是正 (三)「論より証拠」と言われて 私は名指しで「論より証拠」とまで言われたので、論証をもう一度整理しておこう。私は、①百人一首の歌集では、現存最古のものと言われる『為家本』、室町時代の最高権威であった『宗祇抄』、安土桃山時代に断絶の危機から救った『幽斎抄』、「古今伝授」にならった「百人一首」の「御所伝授」の新伝統となった『後陽成天皇百人一首抄』、『後水... 館長
三 歌仙絵画の変遷に関する誤まった解釈の是正 (二)崇徳院の上畳の問題への無理解 なお、私が問題提起した崇徳院の上畳の問題について、「従来は、滴翠美術館の伝道勝法親王筆かるたを筆頭として、ごく早い時期の肉筆かるたの特徴とされてきました。古いかるたはそれで間違いないようですが、それが元禄頃に繧繝縁に移行したというのは資料的に否定されます。というのも、最近になってそんなに古そうでもない版彩色のかるたにも... 館長
三 歌仙絵画の変遷に関する誤まった解釈の是正 (一)旧説の問題点、旧説継承の問題点 これが、私の調査で判明した江戸時代前期の歌人図像付きの「百人一首かるた」発祥の真実であった。三十六歌仙絵と百人一首歌人絵の関係について語るのであれば、こういう基礎的な調査の手を抜いてはいけない。基本中の基本である『素庵百人一首』を調べもしないで、斎宮女御が持統天皇に化身したなどという史実に反するファンタジーを創作しては... 館長