二 大日本帝国の植民地経営における花札の活用 (四)植民地における「歌合せかるた」 大日本帝國の対外膨張を考える時にもう一つ気になるのは、和歌の「歌合せかるた」である。それには、明治時代からの和歌の政治的活用の経緯が関係する。 明治時代になって、近代的な国家の枠組みを形成する際に、人々が「国民」という一つの塊に属していることを自覚させ、そこから国とその頂点に立つ天皇への忠誠と協力を確保する国民文化を創... 館長
二 大日本帝国の植民地経営における花札の活用 (三)租借地、関東洲における「大連花」の流行 「大連花」 花札は日露戦争とその後の満洲の支配においても活用された。新たに租借地となった関東州には骨牌税の適用はなく、また、それに代わるローカルな法令も作られなかったので花札は無税で販売されて有利だった。この地でも、またここを根拠地として北に広がって行った満洲各地でも花札は盛んに遊ばれた。そのうちに、図像にささいな変化... 館長
二 大日本帝国の植民地経営における花札の活用 (二)植民地朝鮮における花札の流行 「北海花」に続いて大きく発達したのが「朝鮮花」である。この地においては、明治二十七、八年(1894~95)の日清戦争において、この地を制圧した日本軍の兵士や軍属、軍夫が花札を大量に持ち込んだ。これが朝鮮における花札の始まりであるが、その後も日本のカルタ屋が現地に芽生えた需要を狙って輸出を試みていた。そこに生じたのが明治... 館長
二 大日本帝国の植民地経営における花札の活用 (一)日本の植民地における花札 大日本帝国は活発に領域の拡大を追求して、大国になっていった。その際に対外膨張の最前線は、日本軍の軍事行動と土木工事への兵站を担った軍属、軍夫、土建業者、鉱物資源採掘関連の鉱業者で占められていた。そのためには、軍の物資の輸送や鉱工業、土木工事の展開のために「軍夫」として大量の労働者が送りこまれ、そして、そういう現場では、... 館長