一 花札に関する法制度の整備 (五)手作り花札の製作工程 花札はもともと、多くの色彩が加えられていてカラフルに美しいのが魅力の基礎であった。そのために花札の製造では手仕事が大事にされて、張り抜き、カッパ摺りの技法が用いられていた。これまで、この制作工程については、昭和四十八年(1973)の『季刊「銀花」』第十三号、昭和五十二年(1977)の『京都』第三百八号、平成七年の『中央... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (四)人気ブランド花札の登場と商標登録法制度への参入 日本骨牌製造の「大隊長」印(左:明治、中:大正「錫箔包」、右:昭和) 明治二十年代(1887~96)、急激な花札の需要の拡大に追われて既存の花札の製作業者が多忙に過ごすとともに、何軒もの新規参入業者も出てきたが、市場で商品の品質と価格の競争が起こり、いつしか、市場での評価の高いブランド商品ができてきた。東京銀座の「上方... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (三)花札図柄の絵ハガキ 絵ハガキ「花畫葉畫」 もうひとつは、明治三十九年(1906)に東京市日本橋區馬喰町二丁目十四番地の綱島商店、綱島亀吉から発行された、花札図柄の絵葉書、「花畫葉畫」第一集六枚、第二集六枚、合わせて十二枚である。これは、画家であり、書家である田中三省の筆になるもので、一枚の絵葉書ごとにその表面を四分割して、「松」「梅」以下... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (二)花札図柄の「煙草カード」 たばこカード加工品・「改良八々花札」 ここで、この時期に創作された、二例の独自色ある花札の図柄について書いておこう。まずは、煙草が民営であった時代に、京都の「村井兄弟商会」が自社の煙草箱に封入した花札図柄の「煙草カード」を実際に花札にしてしまったものである。 「煙草カード」は長方形の厚紙で作られており、最初は輸入された... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (一)「八八花札」の図像の確定 「八八花」の大流行は、花札への大きな需要を生み出し、花札製作の大きなビジネス・チャンスが生まれた。カルタ職人が多数居住する京都、大阪が製作の中心地であったが、全国各地に拡散して、多くのメーカーが活動した。この段階で今日いうところの地方札は使用される現地での生産がほぼ出揃った。岩手県の花巻市、山形県の山形市、酒田市、新潟... 館長