二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (七)大正、昭和の都市型「イロハかるた」 「コドモアサヒ・ノリモノカルタ」 明治時代後期(1903~12)から日本社会では、伝統的な大家族の共住から離脱した都市型の核家族が成立するようになった。大正期(1912~26)には日本の世帯のうちで、都市を中心に半ばは核家族、農村を中心に半ばは大家族という分布になった。これに応じて、大正期(1912~26)、さらに昭和... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (六)女性向けの「家族合せ」 「食道楽家族合せ」 こうした「家族合せ」の経過を背景にして、ここで取り上げたいのは、村井玄斎『食道楽(くひだうらく)』を題材にした「食道楽家族合せ」である。村井は、明治三十六年(1903)に新聞小説としてこれを発表し、大反響であったので単行本化して、空前の大ベストセラーになった。話は、主人公の「お登和」が和、洋、中華の... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (五)「家族合せ」の伝来 もう一点、明治後期に大人の女性向けに開発された「かるた」の例として、「家族合せかるた」がある。正確には、明治後期に、イギリスのHappy Familiesというゲーム専用の特殊なカードを模して、日本で「〇〇合せ」という特殊なカードが開発され、その中に、女性向けの物があったというべきであろう。 この「家族合せかるた」も、... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (四)「鳥刺し」「茶ぼうず」「六歌仙」「風船かるた」 鳥さし 「鳥刺し」も、当初からそれ専用のかるた札を用いる遊びであった。一組のかるた中には、「殿様」(「若様」とも)、「用人」、「鳥刺し」の人物札三枚と、「鳥類」 の「鶴」「雉子」「雁」「鴨」「鶉」「鳩」などの札五、六枚があり、この遊びに加わるものに、人物札と鳥札をよく混ぜて、一人一枚ずつ配る。明治中期(1887~190... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (三)「庄屋拳」 「三芝居當くらべ」 ここで、時計を少し戻して、幕末期(1854~67)、明治前期(1868~87)の「お座敷遊戯かるた」に触れておこう。ここで「お座敷遊戯」と呼ぶのは、料亭などで芸者などの接客業の女性を侍らせて行われる酒席で余興として行われるものであり、「庄屋拳」「鳥刺し」などがある。江戸の文化の香りが高いものに「三芝... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (二)成人女性向け「イロハかるた」の盛衰 一方、明治二十年代(1887~96)に子どものかるた遊びが家族内での遊技から同じ地域の同年齢の子ども同士の遊技になったことに対応して、子どもから切り離された大人の、特に女性の言葉遊びかるたの遊技もいろいろと考案された。この時期に、活字の新文化は、新聞や書籍を通じて女性にも浸透していった。とくに明治三十年代(1897~1... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (一)「上方イロハかるた」の衰退 子ども向けの「イロハかるた」は明治前期(1868~86)には和紙に木版摺りのものが多かったが、徐々に洋紙に機械印刷のものに変わるようになり、およそ明治三十年代(1897~1906)までには、江戸文化の香りを残した東京出来の木版の「イロハかるた」は終期を迎えた。最末期を飾ったのは日清戦争、日露戦争を主題にした「軍人いろは... 館長