二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (二)成人女性向け「イロハかるた」の盛衰 一方、明治二十年代(1887~96)に子どものかるた遊びが家族内での遊技から同じ地域の同年齢の子ども同士の遊技になったことに対応して、子どもから切り離された大人の、特に女性の言葉遊びかるたの遊技もいろいろと考案された。この時期に、活字の新文化は、新聞や書籍を通じて女性にも浸透していった。とくに明治三十年代(1897~1... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (一)「上方イロハかるた」の衰退 子ども向けの「イロハかるた」は明治前期(1868~86)には和紙に木版摺りのものが多かったが、徐々に洋紙に機械印刷のものに変わるようになり、およそ明治三十年代(1897~1906)までには、江戸文化の香りを残した東京出来の木版の「イロハかるた」は終期を迎えた。最末期を飾ったのは日清戦争、日露戦争を主題にした「軍人いろは... 館長
一 子供向けの近代「イロハかるた」の成立 (三)かるたの世界への「教育」の浸透 そして、この新しさを示すのが、「教育」の二文字であった。「児童教育いろはかるた」という具合である。日本は、明治二十二年(1889)の教育勅語を基礎として、本格的な学校教育体制に入った。学校で勉強するということは、家族から引き離された子どもだけの世界の創出を意味していた。かるたはこの新しい世界での子どもの向上に役立つ。こ... 館長
一 子供向けの近代「イロハかるた」の成立 (二)「教育」を冠したイロハかるたの登場 明治二十四年(1891)に東京の神田區元柳原町の山崎暁三郎から『教育いろは』と称される七五調で、四枚一組の、今でいえばラップのようにリズミカルな「イロハかるた」が出版された。次のような内容であった。 山崎板『教育いろは』 いとけなき(稚き)よりいたづら(徒)にろじ(路地)にむなしくあそぶなよはやくがくこう(学校)へ... 館長
一 子供向けの近代「イロハかるた」の成立 (一)明治十年代のイロハかるた イザベラ・バード・ビショップ 明治十年代(1877~86)の早い時期に、イギリスの女流旅行作家、イザベラ・バード(後の結婚後はイザベラ・バード・ビショップ)が日本を旅行している。バードは、まだ欧米人が足を踏み入れることが稀であった東北、北海道を訪れている。まだ欧米人による調査が行き届いていない早い時期に未踏の地を踏破し... 館長
近代カルタ文化の研究 第三章 子ども向け、女性向けかるたの消長 Pinterest Instagram Facebook-f < 第二章 骨牌税法の導入と花札の国民娯楽王者化第四章 トランプ、麻雀、競技かるた> ©2018 Japan Playing Card Museum... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (十)かるた文化の近代化 松井天狗堂(大阪)の対米輸出品の包み紙 このようにして、明治、大正、昭和前期と、様々な問題を含みながら近代化を遂げてきた日本の社会で、かるたの文化もまた近代化を遂げた。自然と共生し、文芸文化の香りを強く漂わせていた江戸のかるた文化は衰退し、多くは滅んでいったが、新しいかるたの文化も誕生した。花札はカードに固有の点数と役... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (九)日本のカルタの対外進出 カルタの近代を性格づけた大きな要素はカルタの対外的な進出である。日本は東アジアに巨大な帝国を築き上げたが、その対外的な膨張と侵略の先端では常にカルタ博奕が盛んに営まれており、日本は言わば「花札帝国主義」の国になっていた。 北海花(任天堂(明治前期)・復元品) 日本の膨張の第一段階は明治前期(1868~87)の北海道と琉... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (八)詐欺的なカルタ札に関する取材の経験 こうした詐欺的なカルタの制作は昭和後期にまで続いていて、私もカルタの制作者サイドでわずかに見聞する機会があった。これは、なにしろ取材先の非合法な行為に関することなので、ある時、あるカルタ屋でとしかいいようがないし、読者が実証も反論もする余地のないデータを掲載して良いものか迷ったが、余計な無駄話だと寛大にお考えいただけた... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (七)日本国内での花札賭博、カルタ賭博の展開 花札やその他のカルタを扱う博徒には巧みな技の持ち主が多かったようである。博徒の一家では、花札賭博を開始するときには、若い下端の構成員は客の案内、警察の取り締まりを警戒する見張り、下足番などの仕事を割り当てられ、長時間その仕事を担当させられた。その際には花札を一組渡されて、手がカードに馴染むように、一組四十八枚の札を切っ... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (六)京都のカルタ屋による全国の「地方札」の制作 カルタ屋は、同時に少量ではあるが、「八八花」の全国に及ぶ大流行よりも以前の時期に各地で使われていた、その地方の花札の遊技を支えてきた個性の強い地方札のカードの生産も続けていた。明治前期(1868~87)に製作されていた物を北から言うと、「北海花」「花巻花」「山形花(奥州花)」「越後花」「越後小花」「虫花」「阿波花」「備... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (五)賭博遊技カルタの生産 骨牌税が導入された明治三十五年(1902)から第二次大戦の敗戦の昭和二十年(1945)までの約半世紀の間は、賭博遊技カルタの歴史の中で最も明るい時代であった。それの制作も、販売も、使用も公認されて合法のものとされ、広く人々に開放された。この時期を賭博遊技カルタの歴史の最盛期と呼ぶべきなのかもしれない。 賭博遊技カルタ制... 館長