二 大正末期の新輸入品、麻雀の伝来 (三)日本国内での麻雀の流行 「麻雀」は、まず関西で流行した。大正年間には、多くの情報が関西から発信されたし、麻雀牌の輸入や国産化でも関西が一歩先にいた。それが、徐々に東京でも流行するようになった。健全な家庭娯楽としても用いられたが、やはり中国の伝統のままに賭博遊技に用いることも多くなった。こうした趨勢を見ていた日本の警察当局、政府の対応は早く、大... 館長
二 大正末期の新輸入品、麻雀の伝来 (二)麻雀遊技のパイオニア 名川は、確かに記録上は日本に最初に「麻雀」をもちこんだ人物であり、樺太の中学校の教員であったのでその周辺で「麻雀」の遊技を楽しんだと思われるが、それだけの話である。名川がどんなルールで遊んだのかが分かればすばらしかったのだが、そういう記録は残っていない。 名川を別とすれば、日本で「麻雀」が遊技として本格的に普及するよう... 館長
二 大正末期の新輸入品、麻雀の伝来 (一) 麻雀の伝来 この時期の賭博遊技の世界に生じた大きな出来事が中国からの麻雀遊技の伝来である。中国における「麻雀骨牌」の発祥については、「馬弔紙牌」の図柄を牛骨に彫り込んで竹片と組み合わせて「麻雀骨牌(マーチャオクーパイ)」に仕立てたのは19世紀の半ば、中国南部、中部で盛んだった太平天国軍の陣中だという説があるが良く分らない。逆に、外... 館長
一 大正文化で栄えたトランプ遊技 (二)トランプの国産化と輸出の増加 上段:パーフェクション社No.355、下段:山内任天堂No.1 近代の日本で制作されたもう一種類の新しいカルタはトランプである。トランプの解禁当時、カードはすべて第一章に見たように輸入品であって、「おもちゃ絵」の粗末なコピー製品以外には国産品はなかったのであるが、早くも明治三十年代(1897~1906)に国際水準でのカ... 館長
一 大正文化で栄えたトランプ遊技 (一)トランプへの学術的な関心の発生 トランプは、大正時代(1912~26)になると、第一次大戦による好景気を背景に、外国の香りもする明るい娯楽として急速に普及した。この時期には、東京などの大都会で夫婦に子どもの核家族の世帯が大幅に増加しており、そこで展開される新しい生活には「花札」とは違ったモダンな雰囲気やどことなく立ち込める外国文化の香りがするハイカラ... 館長
近代カルタ文化の研究 第四章 トランプ、麻雀、競技かるた Pinterest Instagram Facebook-f < 第三章 子ども向け、女性向けかるたの消長第五章 大日本帝國の標準装備となったカルタ> ©2018 Japan Playing Card Museum... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (七)大正、昭和の都市型「イロハかるた」 「コドモアサヒ・ノリモノカルタ」 明治時代後期(1903~12)から日本社会では、伝統的な大家族の共住から離脱した都市型の核家族が成立するようになった。大正期(1912~26)には日本の世帯のうちで、都市を中心に半ばは核家族、農村を中心に半ばは大家族という分布になった。これに応じて、大正期(1912~26)、さらに昭和... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (六)女性向けの「家族合せ」 「食道楽家族合せ」 こうした「家族合せ」の経過を背景にして、ここで取り上げたいのは、村井玄斎『食道楽(くひだうらく)』を題材にした「食道楽家族合せ」である。村井は、明治三十六年(1903)に新聞小説としてこれを発表し、大反響であったので単行本化して、空前の大ベストセラーになった。話は、主人公の「お登和」が和、洋、中華の... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (五)「家族合せ」の伝来 もう一点、明治後期に大人の女性向けに開発された「かるた」の例として、「家族合せかるた」がある。正確には、明治後期に、イギリスのHappy Familiesというゲーム専用の特殊なカードを模して、日本で「〇〇合せ」という特殊なカードが開発され、その中に、女性向けの物があったというべきであろう。 この「家族合せかるた」も、... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (四)「鳥刺し」「茶ぼうず」「六歌仙」「風船かるた」 鳥さし 「鳥刺し」も、当初からそれ専用のかるた札を用いる遊びであった。一組のかるた中には、「殿様」(「若様」とも)、「用人」、「鳥刺し」の人物札三枚と、「鳥類」 の「鶴」「雉子」「雁」「鴨」「鶉」「鳩」などの札五、六枚があり、この遊びに加わるものに、人物札と鳥札をよく混ぜて、一人一枚ずつ配る。明治中期(1887~190... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (三)「庄屋拳」 「三芝居當くらべ」 ここで、時計を少し戻して、幕末期(1854~67)、明治前期(1868~87)の「お座敷遊戯かるた」に触れておこう。ここで「お座敷遊戯」と呼ぶのは、料亭などで芸者などの接客業の女性を侍らせて行われる酒席で余興として行われるものであり、「庄屋拳」「鳥刺し」などがある。江戸の文化の香りが高いものに「三芝... 館長
二 家族遊戯具としての「いろはかるた」の衰退 (二)成人女性向け「イロハかるた」の盛衰 一方、明治二十年代(1887~96)に子どものかるた遊びが家族内での遊技から同じ地域の同年齢の子ども同士の遊技になったことに対応して、子どもから切り離された大人の、特に女性の言葉遊びかるたの遊技もいろいろと考案された。この時期に、活字の新文化は、新聞や書籍を通じて女性にも浸透していった。とくに明治三十年代(1897~1... 館長