五 同時代のかるた史研究者に接する姿勢

私は、今回の執筆でも無遠慮な姿勢をすべての先人、同時代の研究者に対して貫いている。私の著作を読んだ周辺の知人、友人には、この人やあの人がそんなに嫌いなのかという冷やかしを述べる人もいる。だがもちろんこれは好き嫌いの問題ではない。誤解のないように、同時代人に対する私の批判の趣旨を明らかにしておこう。

私は、同時代人の研究者生涯には基本的に利害の関心がない。同時代人がかるた史に関する通俗的な解説書でいかに多くの誤りを書きつらねようとも関心がない。それはその者の人生設計、営業の自由の問題であるから、お好きにどうぞ、と思っている。また、かるた史の世界の外部でのその者の営業活動までを妨害する気はない。これもどうぞご勝手に、と思っている。ただ、そういう人間が、自己主張のために、突然に私の名前を出して私の学説を攻撃してくれば話は別である。それは、著作物や所属機関の紀要のような、一応は学術の世界での業績とされるようなものの中での批判であったり、ネット上の発言であったりするが、私は、学術の世界で名指しで学説批判を受けた場合には、沈黙せずに応答することにしている。

また、誰かが、私の発見を自己の功績の様に装い、あるいは私の主張を自説の様に装って世に公表することにも実はあまり気にしていない。それを真実の発見者は私だと功名争いをしたり、剽窃だと騒いだりするのも好まない。だから私の主張の無断盗用が生じても多くの場合に見逃してきた。しかし、その誰かが、自説を際立たせるために、逆に自分がオリジナルな発見者であり発案者であり、江橋がそれに追随したり模倣したりしているのだと名指しで攻撃してくる場合には、それはケンカを売られているのだから、研究者としての最低限の名誉を守るために、どちらが本家でどちらが模倣者であるのか、それにも応答することにしている。

さらに、かるた史のような小さな研究世界に奇妙なデータ、情報を垂れ流されるのは後世の研究環境のためによろしくないと思う。とくに歴史史料に基づかない空理空論である場合や、先人が研究に苦労したうえですでに解明して是正済みの論点において、不勉強で、その先人の業績を無視してそれよりも古い時期の誤った旧説を再現しているような場合は、無視された先人の業績の栄誉を回復させるために、その所在を明らかにしつつそれに依拠して史実を明らかにして、謬説を中和する主張を行うことはある。こういう意味で批判の対象としてきた不勉強な人、学説は少なくない。そして、そういう際に顕名で私を攻撃してきた論文や著書の場合は、そうではない批判の場合とでは自ずと取り扱いが変わり、筆舌が鋭くなることをお許しいただきたい。

だが私は、こういう学術の世界での自衛の範囲を超えて、その人の解説者っぽい社会的活動領域に踏み込んでその商売を妨害しようとまでは思っていない。その人がかるたに関わって営業すること自体を攻撃し、否定する権力的な意欲もない。謬説の中にでも評価するべき点があればそれも率直に認めてきた。ただ、たとえば花札の歴史であまりにもひどく間違えた攻撃を加えて来れば反論するし、賭博系のカルタに対する差別的な偏見も批判するし、歌合せかるたの歴史での史料に基づかないあまりにもひどい発言はたしなめるし、絵合せかるた、譬えかるたの世界でもそうであり、西洋カルタ、トランプの世界でもそうである。そして、私に批判されて、それに公然と、あるいは私的に応答する人もいるし、それがないままに沈黙し、いつの間にか改説してしまう人もある。それはその人のかるた史研究者としての在り方の問題であり、それだけの話である。誤った発言が多岐にわたっているので、このサイトでの批判が多岐にわたっている人の場合もあるが、それもそれだけの話である。そういう批判を呼び込むほどの大風呂敷を広げて商売を始めたご本人の問題である。そして私は、私自身がそれを研究していないのに、そういう人のかるた史以外の領域での研究や社会的活動についてまで批判し、撃滅しようとは思っていない。

昔私が携わっていた仕事の世界には、自衛権、周辺事態対応、集団的自衛権などという物騒な言葉があった。それでなぞらえて言えば、私は、私のかるた史研究に外部から不当な攻撃があった場合に固有の自衛権を行使して反撃しており、時に周辺事態に対応することはあるが、その範囲をこえて、自説が攻撃されてもいないのに集団的自衛権なるものを行使して他の研究者を攻撃し、相手を地の果てまで追いつめて破滅させようとすることはしていないのである。