私が誤記説批判を文章にしたのはずいぶん以前で、それは当時私一人で行った学界全体を相手にした反乱であったのだが、当時は研究室のサイトはまだ開設されていなくて、私の念頭にもなかった。研究室はその後にこの議論に参加してきたのだが、幸い、従来の通説のこの問題性に気付いたようで、長い時間をかけて十七世紀、江戸時代前期(1652~1704)の文献史料の発見に努力された。その労は高く評価するけれども、結果的には、それはどこまで成功したのだろうか。十八世紀の文献史料を何点か追加することに終わったように見える。

ここでは、研究室の努力に報いるように、そこで新しく提起された論点について、そのいくつかを検討しておきたい。

まず、改めてまとめておきたいが、山口吉郎兵衛らの誤記説は、カルタの遊技法にトリック・テイキング・ゲームという種類のものがあることに無頓着で、したがって『雍州府志』に書かれているカルタの「紋」を合わせる「合せ」という遊技法について具体的に想像ができなくて、他方で、同書には江戸時代中期以降に盛んであった「めくり」という遊技法の説明がないので、足し算、引き算で、「紋」を合わせるというのは「めくりカルタ」のように「数」を合わせるフィッシング・ゲームの遊技法であると書く積りであったところの誤記であるとしたものである。論拠は簡単で、黒川は「数」と書く積りで「紋」と書いたのだと読むべきだということに尽きる。この単語以外の文章や単語の記述について精査した痕跡は見当たらない。

これと異なり研究室は、『雍州府志』は、「紋を合わせる」という表記で、「プロトめくり」のような「模様を合わせる」あるいは「数を合せる」フィッシング・ゲームの遊技法を意味しているのであって、これは誤記ではなく正しい説明であるとした。このように理解すれば、十七世紀、江戸時代前期(1652~1704)に「プロトめくり」の遊技法が存在したことを証明する同時代史料が発見できていない中で、『雍州府志』こそが唯一無二と言っても良い基本文献史料だということになる。数年かけてたどり着いた研究室の自説がこれであったという説明にはとても驚いた。

ここから生じるのは、『雍州府志』の「賀留多」の項の文章の全体を、フィッシング・ゲームを記述しているという立場から解読し、それを説明する責任である。誤記説に追随するだけならば、黒川は訳の分からないことを言っているというだけでいいのかもしれないが、積極的に十七世紀、江戸時代初期(1603~52)ないし前期(1652~1704)の日本にすでに、18世紀に江戸で発祥した「めくりカルタ」遊技の前身、「プロトめくり」のフィッシング・ゲームが存在していたという自説を立てたのだから立派だが、立証責任は誤記だと悪口を言っているだけの誤記説に比べると飛躍的に増大する。だが、残念なことに、私は、研究室のこれまでの主張には、この自説の積極的な立証が不足していると感じている。

また、『雍州府志』には、表題「賀留多」の部分以外の箇所でも「合」という文字の使用例が多数ある。研究室はそれの意味内容の悉皆調査に取り組んだ。文献史料の活字版をデータ化して検索を掛ける、デジタル情報時代らしい調査手法である。その他にも、江戸時代中期以降のカルタ文献での「紋」を含むスーツ・マークの呼称例の調査に取り組んだりもした。私の到底及ばない地味な作業を尽くした労苦にも敬意を表したいが、傍証はやはり傍証に留まると思う。

私は、自分が取り組んだことのない研究方法で他人が努力を重ねて出した研究成果について、自分の研究による裏付けも欠けたままでないものねだりのような批判をすることは避けたいと思っているので、研究室のこの方法での研究の成果については批評を避けたいが、「合」という文字の扱いについてはすでに述べた。「合」に、単に合せるという意味を与えるのか、競い合わせる、合戦という意味まで与えるのかは、『雍州府志』の「合せ」がトリック・テイキング・ゲームを指すのか、フィッシング・ゲームを指すのかという判断を決するポイントにはならない。この言葉をどちらの意味に解しても、文章全体を読んで得られる、これはトリック・テイキング・ゲームを指しているという結論に変動は生じない。また、研究室は『毛吹草』が「付合」で「袷」に「賀留多遊」を合わせたことを自身の説の論拠に使っているが、同書には「繪合賀留多」という表記もある。カルタよりも研究室のいう符合するという意味合いが濃い「貝合」の遊技も「貝袷」とは表記していないことを指摘しておこう。

一方、「紋」について、研究室は、『雍州府志』の「加留多」に関する説明の中での「紋」の使用例のうち、「賀留多有四種紋」(カルタに四種類の紋があり)、「一種紋謂伊須」(一種の紋をイスと言う)、「一種称波宇‥‥此紋」(一種はハウと称する。‥‥この紋は)、「一種紋謂古津不」(一種の紋はコツフと言う)、「一種紋謂於宇留」(一種の紋はオウルと言う)などという部分の「紋」は「紋標」を意味するが、それに続く「合せ」の説明の箇所で使っている「合其紋之同者」(その紋の同じものを合せ)、「其紋無相同者為負」(その紋と相同じものがなければ負けとする)、「是謂合言合其紋之義也」(これを合せと言う。言うこころはその紋を合せるとの語義である)の「紋」は「数標」ないし「模様」の意味であるという一語両義の説明をするが、これでは傍証としての説得力にも支障が生じる。それではなぜ表記は「合其數之同者」、「其數無相同者為負」、「言合其數之義也」、あるいは「合其模様之同者」、「其模様無相同者為負」、「言合其模様之義也」ではなかったのか。同じ文節中で同じように表記されて繰り返される「合」の語の各々に別異の語義を与える解読は、そうする理由、根拠についての説明責任がいっそう重い。

研究室は、『雍州府志』における「合せ」をトリック・テイキング・ゲームだとする私の説が誤りであることを雄弁に主張してきた。私はそれに同意できないが、だからと言って、同書の「合せ」をフィッシング・ゲームの一種、「プロトめくり」だと主張する研究室の側の理解、作業仮説について、それ自体が仮説としてまるで成立しないから議論の場から退席せよとまで私が言うのは行き過ぎであろうと考えている。むしろ逆に、この説の積極的な論証を見たいものだと思っている。

「プロトめくり」説は、これだけ自信たっぷりに自説を誇るのであるから、『雍州府志』の表記について、例えば「數」と「筭」の使い分け、「人々」と「互いに」の使い分けのように繊細な論点について、すでに当然繊細に検討したであろうと推測されるが、その研究の成果がまだ発表されていない。『雍州府志』には、誤記説では説明の困難な文章、文字が多かったであろうと思うが、研究室はすでに「プロトめくり」説を立ち上げているのであるから、そうした困難を克服したのであろう。それなしに自分に都合がよさそうに見える語句だけに依拠して立ち上げたとすれば不安定にすぎる。だから、研究室には、対抗学説を主張した者の社会的な責任を自覚して、自説の立場から、『雍州府志』の「賀留多」の箇所の全文章の解読を、今日までの研究成果を駆使して全面的に展開する責任があるし、その仮説を立証しようとしてさらに研究を進展させて、実証性の高い積極的な説明をするのであれば大歓迎である。逆に、それができないのであれば、自説の訂正を行ってもらいたい。なお、もし仮に、研究室であれ他の誰であれ、どこかの研究者が、『雍州府志』に依拠するのではなく、他の文献史料や物品史料に基づいて、十七世紀、江戸時代前期の日本に、フィッシング・ゲーム・タイプの日本固有の遊技法「プロトめくり」がすでに成立していたことを明らかにできたら、それがカルタ史研究を大きく前進させるであろうことは疑いない。その時には私も真剣にそれに学び、自説を訂正したいと思う。

私は、カルタ史の研究者が極度に少ない今日、その希少な人材には、度の過ぎた通説批判やややこしい文献解釈で自ら作り出して自ら迷いんこんでいる迷路から脱出して、カルタ史の史料を探索し、好個のものを発掘し、それを素直に解読し、その結果に基づいて自説の再構築に向かうことを期待している。肝心なのは、史料に素直な気持ちで接することである。『雍州府志』を素直な気持ちで読む時、「カルタの遊技では、親がすべての札を遊技の参加者に配布して始まる」と書いてある文章を、「親がすべての札を配るタイプの遊技を説明しているとともに、『手七、場六』、つまり親が遊技者には裏返しで七枚の札を配り、場には表を上にして六枚の札を晒し、残りの札はすべて山札として裏を上にして場の中央に置くタイプの遊技も説明している」と読み解くことはあり得ない。「紋を合せる」と書いてある文章を、「紋とは数の書き間違いである」とか、「紋という文字は、前後の箇所での紋、すなわち紋標という使用法とは異なり、ここでは、ここだけだが実は数のことを意味するのであり、紋を合せるは数を合せると読むべきであり、書き間違いではない」等と読み解くこともあり得ない。史料は、その作者の意図する主旨を読み取り、素直に解釈するべきである。この、歴史研究の基本は常に心に残しておいてほしい。

おすすめの記事