「大人のかるた文化考」

揚州周延画「千代田の大奥 かるた」
揚州周延画「千代田の大奥 かるた」(明治年間)

三人の女性が遊技に参加し、別に一人の読み手がいる。遊技法は独特で、今日には伝わっていないので良く分からない

家族や友人で百人一首のかるたを遊ぶとき、私たちはいっとき平安時代の雅びな王朝文化に浸ることができる。眼には歌人像のあるカードが映り、耳には心地よい和歌の調べが響く。自分でもそれを口ずさむ。書道に親しんでいる人であれば、流麗な平仮名の手本で和歌を筆写しながら雅びな日本を手から感じることができる。百人一首かるたが他の歌合せかるたを圧倒して人々の人気を得たのは、上の句を読んで下の句を取るという、人の五感を最大限に活用する遊技法が開発されたからである。

百人一首は平安時代の王朝文化を写して鎌倉時代に成立したが、そのかるたは江戸時代の始め、大名家の家中での女性の遊戯として成立した。百人一首かるたは競い合う遊びの文化であったが、遊戯の間にも和歌を鑑賞し、歌人に思いを馳せる余裕があった。親しい女性たちが競い合うのは穏やかな時間と空間であり、遊戯に参加している幼子や初心者へのハンディとして、その子の得意札には大人は手を出さない心配りの空気もあった。

江戸時代のかるた遊技には、封建の世で身分格差に厳しい中でも人としての公平性、平等性があった。遊戯には厳密なルールがあって、誰もがそれに従ってプレイして結果を受け入れる。正月に家内でかるたに興じるときには、子が親に勝ち、嫁が姑に勝ち、使用人が主人に勝つことがある。それは日常の厳しい身分秩序からいっとき解放される、自由で平等な人同士が遠慮なく競い合う公平な世界である。歴史学者はこれをアジールの空間という。

庶民向けに作られた「初期木版百人一首かるた」
庶民向けに作られた「初期木版百人一首かるた」
(江戸時代前期)


歌人は山辺赤人、和歌は「田子のうらにうち出てみれば白妙の 冨士のたかねに雪はふりつつ」。  
粗品だが制作者の気持がこもった品である。   

歌合せかるたの運命が激変したのは明治時代で、学校教育で和歌が軽視された。そのために古今集や源氏物語、伊勢物語、三十六歌仙などの多くの歌合せかるたが衰退した。だが、百人一首かるたは残った。やや邪道であったが、かるた会が若い男女交際の場、今でいう合コンとして使われて、男性が参入する遊びになった。そうすると女性にもてたい男性同士のつばぜりあいが起こり、大学生の間に百人一首を練習する倶楽部がたくさんできて、今度は倶楽部の間の対抗戦になった。明治三十年代になると、倶楽部間の対戦が公平になるように活字版の標準かるたが考案され、競技かるたが成立した。競技かるたでは、百首のうちの半分は空札として外される。競技の場で和歌を楽しむ余裕はなくなり、弱者への思いやりも消えた。スピードを競う男性型のスポーツ競技になった。それは、競争相手をいかに出し抜いて利益を収集するかを原理とする近代社会の写し絵であり、そこからは和歌の文化を楽しむとか、歌人の生涯に思いを馳せるなどという和歌の文化はなかなか育たない。

百人一首かるたの王道に戻る

そして、いま、がむしゃらに高度経済成長をめざした近代社会がゴールに行き着いた日本は、もう一度ゆったりと持続する社会に戻る道を模索し始めている。大人たちには、一生懸命に働くだけでなく、ときにはゆとりをもって遊ぶ文化が望まれている。こういう時代、こういう社会だから、家族や親しい友人とともにのんびりと楽しむ百人一首かるたの王道に戻れるのではないか。幸い、小学生の学校教育でも和歌の文化が教えられる時代になった。若者に興味を持たせる入門のツールとしては、競技かるたも映画「ちはやふる」も悪くない。昔はどの家庭にもあった楽しみを復活させるように、もう一度遊び仲間で集まってかるた会を開いて、この遊びの文化を若者に伝授するのが大人の楽しみ方であり、喜びであるだろう。

もう一つの百人一首かるたの楽しみ方は、かるたのカード、特に読み札の歌人像に注目することだと思う。江戸時代の手作りかるたは優れた絵師たちが百人の歌人を描き分けていて特に興味深い。普段は活字版の読み札しか見ていない百人一首かるただが、たまには美術品、文化財として鑑賞するのも大人の楽しみの一つである。

最近は江戸時代のかるたの名品をきれいな写真で紹介する書籍も多いし、光琳かるたのような、そもそも観賞用に作られた優品の復刻版も容易に入手できる。お気に入りの歌人を主役にして、かるたごとに異なる図像の変化を楽しむのもよい。得意札の和歌の書も崩し字で読むと一味違う。そして観光旅行の旅先で美術館や博物館に立ち寄った際に、展示されている歌仙図画帖などにひいき筋の歌人の絵画を発見すると、こんなところにいらしたのですかと旧友に出会ったような気分になれる。草書体の書も以前よりははるかによく読めるようになっている自分に気付く。百人一首かるたの遊びには、こういう自主的な学習の楽しみもあると知って欲しい。

過去にではなく、今の世のすぐ傍にある歴史社会

令和元年、江戸時代初期の、百人一首の遊戯法としては最も古い「続松(ついまつ)」に用いる古い百人一首かるたが出現して、所蔵者の希望により、福岡県大牟田市にある市立三池カルタ・歴史資料館に遺贈された。かるたは縦八・三センチ、横五・四センチの紙製で、用いられた紙は、表紙、裏紙ともに銀色紙であり、縁返しの技術も見事で、元禄年間の黄金色に輝く豪華なかるた類よりは一時代古い、ちょっと渋い上方の文化の特徴をよく示している。

「つくも百首かるた」(江戸時代前期)
「つくも百首かるた」(江戸時代前期)

歌人図像は右が 赤染衛門、左が周防内侍なのだが、実は同一人なので「九 十九(つくも)」人で百首を詠んでいることになる不思議 なかるた。どちらが本当の自分だろうか。和歌は赤染衛門 が「やすらはでねなまし物をさよふけて かたぶくまでの 月を見しかな」、周防内侍が「春の夜の夢ばかりなる手枕 に かひなく立たん名こそおしけれ」。     
 

このカルタ札の出現は衝撃的で、まるで、今の世と歴史を結ぶ、普段は閉じている扉が突然に開いて、寛永、寛文、貞享の京都の遊郭社会と自由に行き来できるようになった気分になった。江戸時代初期の社会には、遊郭をセンターにして、「続松(ついまつ)」と呼ばれる百人一首かるたの遊戯法があった。これは、絵合せかるたの前身、「貝覆い」の遊技法を引き継ぐものであり、数十枚の下の句札を円形に広げた中央の空地に上の句札を一枚出し、その札に対応する下の句札を探して合わせるのが遊戯の柱である。私たちがよく知っている、読み手が声を出して上の句札を読み上げて、取り手が下の句札を探す元禄年間以降の遊戯法よりも一時代古い。

以前に、野口武彦さんの小説『元禄六花撰』に、阪神淡路大震災直後の、社会の秩序が崩壊したような時空間の頃、大阪は曽根崎の南、お初天神鳥居のあたりで、ほかならぬ曽根崎心中のヒロイン、お初さんと出会う体験が書かれていた。タイムマシンがなくても、 歴史社会は手の届かない過去にあるのではなく、今の世のすぐそばにあり、普段は行き来するルートは閉じられているが、何かの折に開いて通底する。そんな気分の体験談として興味深く読ませていただいた。

そして、野口さんのケースではどちらかというとお初さんの方が今の世に出てきてくれているが、「続松(ついまつ)」かるたを初めて見たときには、にわかに開いた歴史社会への扉を私から通って江戸時代初期の京都に行き、六条や島原の遊里でかるた遊びをする遊女たちを眺めていた。中央にいたのは遊里随一の美貌で琴棋書画の教養も深く、京都の遊里で絶大な人気を誇っていた吉野であり、ともに遊戯している仲間は同じ遊女の野風や小藤がいた。

「続松(ついまつ)」遊戯に用いられたかるた札は、上の句札と下の句札を実際に手に取って合わせると、二枚で一つの図像ができ上がる。上の句札の絵と下の句札の絵は、一枚だけで見るのでは半端であってよく分からないが、二枚を実際に合わせて見ると、美しい図像が浮かび上がる。まさに、貝がら表面の模様を頼りに適合する対の貝がらを探し、裏返してみると美しい図像が現れる「貝覆い」の直系の子孫であることが分かる。今回出現したかるた札は、土佐派の絵師の筆になるものであり、これを見た人は皆その美しさに感嘆の声を発し、特に多くの女性のもらす溜め息が印象強かった。

今回、新たに発見された「続松(ついまつ)」遊技用の美麗なかるた札というきわめて貴重な物品歴史史料が大牟田市立三池カルタ・歴史資料館のような公共の施設に収められ、広く活用されるようになったことはまことに喜ばしい。このかるたは、すでに「日本かるた文化館」のウェブサイトで全面公開されており誰でも見ることができる。また、令和元年十月には、寄贈を受けた大牟田市の三池カルタ・歴史資料館で実際に展示される。秋の一日、筑後の国を旅して、柳川なども観光し、大牟田では、世界歴史遺産の三井三池炭鉱跡を見学して日本の産業史を思い、紅葉したハゼの並木道からカルタ館を訪れて江戸時代のかるた文化史を堪能するのも一興ある旅ではなかろうか。そして、このように、江戸時代の文化史の中にかるたという遊技を置いて、その歴史を追憶し、残されたかるた札を鑑賞して楽しむのも、教養ある大人による百人一首かるたの楽しみ方の一つであると言える。

伊勢(『三十六歌仙色紙和歌』)
伊勢
(『三十六歌仙色紙和歌』)
小野小町(『三十六歌仙色紙和歌』)
小野小町
(『三十六歌仙色紙和歌』)

左は伊勢、右は小野小町。小町は淑やかだが、伊勢はやんちゃで恋人を出迎えて立ちあがっている。和歌は、伊勢が「三輪の山いかに待見むとしふとも たづぬるひともあらじとおもへば」、小町が「わびぬればみをうき草の根をたえて さそう水あらばいなむとぞ思ふ」。

山邊赤人(『三十六歌仙色紙和歌』)
山邊赤人
(『三十六歌仙色紙和歌』)
中納言家持(『三十六歌仙色紙和歌』)
中納言家持
(『三十六歌仙色紙和歌』)

左は山辺赤人、右は中納言家持。赤人は浮遊する畳におっかなびっくりで搭乗しており、家持は対照的に眼下に広がる都の景色を楽しんでいる風情。和歌は、赤人が「和哥の浦にしほみちくればかたをなみ あし辺をさしてしづなきわたる」、家持が「まきもくのひはらもいまだくもらねば 小松がはらにあはゆきぞふる」。

※「大人のかるた文化考」は、UCカード会員誌『てんとう虫』平成二十九年(2017)一月号に寄稿、令和元年(2019)八月に加筆したものです。

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