(二) かるた工房で制作された職人技の作品

そこで、このかるたについて観察を深めたのであるが、まず、これが全く個人的な思い付きで制作された一点限りの素人作りのものではないことを確認しておきたい。個人の好みで自家用に制作されるのであれば、いわば何でもありの状態であるから歌意図を加えることを思いついて実現させる可能性はあるが、その場合には、札の作りがいかにも素人っぽいものになる。一方、このかるたでは、制作当時の元来の収納箱、制作者による添付文書、後代の所蔵者に依る記録等の史料に欠けているので残されたかるた札だけから判断することになるが、札の大きさ、厚みと硬度、裏紙の紙色、縁返しの技術、絶妙な反りの入れ具合などからすると、素人の制作できるレベルではなく、かるた屋が専門職人を動員して制作したものであることが分かる。私は、元禄年間(1688~1704)以降、江戸時代中期前半(1704~45)頃までのものと判断している。

なお、このかるたには、札の図像が食い違って、百九十九枚の中ではどうしても適合する札が見つからないものがある。かるた屋の工房に異なった図像の別異の百人一首かるたがあり、それとこれとが交錯して、別の組のかるた札が混じりこんだものである。ここから、このかるた工房では二組以上の歌意図付きの百人一首かるたが同時に制作されていた事情が判明する。個人が自身の趣味のためにいわば素人作りする場合は、二組以上を制作する事態は想像しがたい。この点からも、このかるたは一軒のかるた工房で量産されたものの中の一点と判断される。歌貝(續松)仕様かるたを使う遊技の流行がしのばれるが、この決定的な証拠については後にもう一度扱う。

次に、採録されている歌意図の分析に進もう。吉田家旧蔵かるたの図像は基本的には風景図である。和歌の意味に従って、山、川、海などが取り上げられ、そこに四季折々の樹木が描かれている。四季を問わず松樹を描くものが多いが、春の和歌には梅花や桜花が咲き誇るさまの図像が多い。在原業平朝臣の札のように紅葉なども好んで描かれているし、冬の情景の和歌では雪景色の絵がある。月の絵も紫式部などに多い。歌人の河原左大臣、光孝天皇、文屋康秀、凡河内躬恒、文屋朝康、中納言朝忠、謙徳公の札には、風景絵に代えて群生する野の花が草花図鑑のように大きめに描かれている。なお、柿本人麿の札には山鳥が、猿丸大夫の札には鹿が、中納言家持の札には鵲(かささぎ)が、清少納言の札には鷄が、皇太后宮大夫俊成の札には鹿が、後京極摂政前太政大臣の札にはきりぎりすが描かれているが、いずれも、背景の山や川、樹木の枝などとの大きさのバランスが崩れていて、ほとんど山の大きさの鹿、一メートル強の巨大な山鳥などになっている。また、どの札にも人物を描いたものはなく、わずかに参議雅経の札に「ころもうつ也」の女性像が小さく描かれているのが唯一の例外である。

 

延宝八年(1680)に菱川師宣が描いた『百人一首像讃抄』の歌意図を見ると、百対の札のうちで九割の図に人物が描かれている。これにより、図像は歌意をストーリーとして示す説明的な挿絵に納まっている。一方、吉田家旧蔵かるたでは、風景が主題となっており、人物がいないのでストーリーではなくピクチャーとして表現されている。ところが、百首の和歌のうちの相当数は、歌人の心象を詠ったものであり、それを風景図として表現するのは困難であり、実際に、図像と和歌の連携が理解しにくいものも何点かある。だが、そういう難点はあるものの、人物像を排除した図像ははるかに上品でなり、狭い空間に歌意を見事に描き切ったものも多く、実際にこれで遊技したであろう女性たちが眼前の一対の札に出現した美しい風景図像に感嘆の声を上げるさまも想像できる。なお、相模の札には硯と手紙、周防内侍の札には几帳、茵(しとね)、手紙、式子内親王の札には几帳と琴というように、わずか数枚であるが、風景ではなく器物が描かれているものもある。

 

こうした図像は、いずれも高級な岩絵具で描かれており、熟達の絵師の作品と思われる。なお、貞信公、清原元輔、大納言公任、清少納言、権中納言定頼、源俊頼朝臣、道因法師などの札では図像に黒色の輪郭線が加えられており、それがない他の多数の図像の札とは絵師が異なるのではないかと思わせるところがある。

吉田家旧蔵かるた・風景図四例
(制作者 不明、江戸時代前期)右上より縦に、
在原業平朝 臣、紫式部、清少納言、参議雅経。
吉田家旧蔵かるた・草花群生図像
(制作者 不明、江戸時代前期)右上より縦に、
光孝天皇、文 屋康秀、文屋朝康、中納言朝忠。