メイ・ファン・レンセラー
メイ・ファン・レンセラー

この時期に、日本には来たことがないが、日本のカルタの海外での紹介に功績があったのが、アメリカのメイ・ファン・レンセラー(May van Rensselaer、通称はジョン・キング・ファン・レンセラー夫人(Mrs. John King van Rensselaer)という女性である。レンセラーはカルタのコレクターであり、その歴史にも関心が強く、1890年にアメリカの国立スミソニアン博物館の紀要に「日本からのカルタ」[1]という一文を寄稿している。次のような内容である。なお、この論文には花札のカードの写真が各月ごとに一枚ずつ、合計十二枚が添付されている。

カルタの歴史、ジプシーないし帰国した十字軍によって東方よりヨーロッパに導入されたこと、それが受けた変化と発達、東方のカルタから採用されてから今日我々の目に親しいものに変化したことなどは多くの論者によって扱われてきた。しかし、日本で使われているカルタについては、他のいかなるカルタよりも明確に独創的であり、イタリア、スペイン、ドイツ、フランス、インド、中国のカルタが示している共通の起源の印を示していないにもかかわらず、よく知られた歴史書ではどれでも触れられたことがない。


 日本のカルタのカードは長方形で、厚紙で作られている。背面は黒色に塗られており、そこにはヨーロッパのカードを通常は飾っている、格子状の点描の印は存在しない。図柄はステンシル技法で明白、適切に彩色されて、次いでエナメルないしニスで覆われ、我々のカードと同じようにとても滑らせやすくなっている。カードは我々のものよりもとても小さく、縦が二インチ、横が一インチより少し大きい程度である。


 カードの枚数は四十九枚で、十二の紋標に分れ、各々の紋標が四枚である。一枚のカードは他のカードよりもわずかに小さく、表面は白無地で、独自の紋標で飾られてはいない。これは「ジョーカー」として使われる。他のカードは、年間の各月にふさわしい十二の花あるいは他のものを代表するデザインで飾られている。各々のカードは特徴的で同じ紋標を帯びている場合でも仲間とも区別され、象徴的な花の図柄だけでなく、ほとんどすべてのカードにあり、その月を代表する野菜を示していると思われる漢字ないし文字によっても容易に区別され、分類される。花の紋標が存在しない唯一の月は八月であり、その紋標は山々と暖かく見える空で記されている。‥(中略)‥このかるたで行われるゲームは無数にあり、どのセットのカードにも微妙なわずかの相違があり、いくつかのゲームでは各々のカードの価値が異なっている。今日の日本で最も愛好されているゲームはカシノによく似ていて、そこではどのカードも他のどのカードも取ることができるが、ゲーム後の計算の時にはすべてのカードが固有の価値を持たされている。
レンセラー「日本からのカルタ」
レンセラー「日本からのカルタ」

レンセラーは同じ1890年に世界各国のカルタ史を扱った著書『悪魔の絵本』[2]を公刊している。この著書でもレンセラーは世界のカルタの中で日本の花札を高く評価して紹介している。その趣旨は論文「日本からのカルタ」と同じであるが、思い入れが強かったのか、同書では四頁を費やして花札の一組四十八枚の図版がもれなくカラー図版で掲載されている。これは日本のカルタをカラー図版で国際社会に紹介した最初の著作である。この時期のカードのイメージを誤りなく伝えている点で日本のカルタ史の研究上は極めて貴重な仕事となっている。

なお、ここで、「日本からのカルタ」に添付された花札と『悪魔の絵本』に掲載された花札の異同を検討してみたい。両者は一見して分るように「武蔵野」の中でも和歌が付いた西日本のカルタと、和歌がない江戸のカルタで、まるで違う図像のものである。ここで注目したいのは「日本からのカルタ」で十一月の図像を説明している中に「第四のカードは嵐の中、柳の木の下を急ぐ男の風変わりで面白い姿と、急いでい脱ぎ落した履物の図像を載せている。男の頭部は大きな黄色の傘で覆われている」とある点である。「武蔵野」では、柳のカードには普通は雷雨の中を走り抜けている男の図像がある。だが、その男が急ぐあまりに履物を脱ぎ落している絵柄は普通にはないことで、この履物が描かれている図像のものは極めて珍しい。そして、レンセラーが『悪魔の絵本』に掲載した図版の花札では、確かに雷雨と走る男と脱ぎ落して空中に浮かぶ履物の図像である。一方、「日本からのカルタ」に添付されたのは、いくつかのカード上に和歌の上の句ないし下の句が書き込まれている、古くから西日本中心に用いられていた標準的な「武蔵野」であり、このカードの図像は掲載されていないが、履物がある図像であったとは想定できない。つまり、レンセラーの手元には当時二種類以上の花札があり、論文「日本からのカルタ」では、説明の基礎資料として使用した花札とは別のものを添付しており、『悪魔の絵本』では正しく説明と図版が合致しているのである。

レンセラー『悪魔の絵本』
レンセラー『悪魔の絵本』
レンセラー『悪魔の絵本』
レンセラー『悪魔の絵本』
レンセラー『悪魔の絵本』
レンセラー『悪魔の絵本』

レンセラーが花札を紹介した時期は、図像の転換期であった。紹介されたのは二組共に旧来の「武蔵野」の最末期のものであり、新考案の「八八花」の図像ではない。したがっていずれも柳のカードの人物が「八八花」の小野道風ではなく「武蔵野」の雷雨の中を走る唐傘の男である。ただ、一組は和歌が掲載されている関西風のもので、もう一組は和歌がない江戸風のものである。こうして「武蔵野」の最後の姿を複数のパターンで知ることができるのはレンセラーの大きな貢献である。レンセラーの記述は研究者の学術的な論文のスタイルからははみ出していて、趣味人の文章のようであるし、文中に誤りも少なからずある。そこで今日の研究者の間での評価は必ずしも高くないが、私は、他の部分はさておくとして、日本のカルタの紹介については高い評価がふさわしいと考えている。「日本からのカルタ」という題名が物語るように、良家の嫁であり、日本に旅行した経験はなかったものの、何らかの便宜を得て不思議なカルタを何組か得る機会に恵まれたのであろう。その機会を逃さずに活用して、世界中の研究者、蒐集家の誰も知らないカルタを新発見した興奮をそのまま文書化したような趣味人らしい研究であったとしても、当時世界で最先端の業績に仕上げたレンセラーの才能と努力に感銘を受ける。


[1] Mrs. John King van Rensselaer, “Playing Cards from Japan.” Proceedings of the United States National Museum, Vol.13, 1890, p.381.

[2] Mrs. John King van Rensselaer, “The Devil’s Picture Books”, Dodd, Mead and Company, 1893.

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