十二 『雍州府誌』の文章は意味不明の記述なのか

次いで③に移ろう。山口吉郎兵衛の「嘆き」も分からないではない。山口説は、「記載簡単過ぎてよくわからぬが、手札と場札を合せる意味であろう。『其紋之同じき者を合す』とあるけれども、紋標は同じものが十二枚もあるから、数の同じきものを合せるの間違いではあるまいか」ということであるが、遊技の場での「合す」という言葉の語義については残念だが誤解している。「記載簡単過ぎてよくわからぬ」というが、江戸時代初期、前期に、黒川以上にカルタ遊技の現場で取材して、それをスケッチ風に記述して後世に伝えるという大功績を残したものを私は知らない。山口が他の何と比較して「簡単過ぎて良くわからない」と言ったのか分からない。そして、山口は、「簡単過ぎて分からない」はずなのになぜか妙なことには、誤記だということは「分かって」しまった。私にはむしろ『うんすんかるた』での山口の結論の方が簡単過ぎて分からない。

そして黒宮さんも、山口の「簡単過ぎて分からない」という説明に同調するとしながら、私など及びもつかない深読みをして私の知らないようなことを色々「分かって」いらっしゃる。「敵か味方か私には分からないが、江橋がそれは敵だと言うのは間違いである」とか。「甘いか辛いか私には分からないけど、江橋がこれは甘いと言うのは間違いである」という言葉を聞かされたようで、ロジカルに不思議な気分である。「敵か味方か分からない」のであれば、他人である私の「敵だ」という言説が「間違いである」という断定的な判断にはならないのではなかろうか。「甘いか辛いか分からない」人には「甘い」という判断が間違いかどうかも分からないのではなかろうか。自分の側の説明責任を放置しておいて、他人のそれを指摘するのはいかがなものかと思う。

繰り返して書くが、『雍州府誌』での黒川の説明は、現場での取材の苦心が感じられる、とても貴重な情報であり、有益である。そして、しつこく繰り返すが、賭博カルタのルールは基本、賭場ごとに違うのであり、どこかの賭場の現場を見て書かれた断片的な文章、語句があるときに、それを、カルタの遊技には標準のルール、基準ルールが存在していて、その文章はそれを正確に書いたものであるはずで、ところがここにはゲーム途中の些末な事項しか書いていないのだからもっと別のゲーム・ルールであるはずだと評価するのは危ない。今日、例えば野球の試合の記事があるとして、それはプロ野球の公式戦の試合の展開を説明しているのか、それともたまたま見かけた原っぱでの草野球の試合のルールの見たままの説明であるのか、ここを勘違いして読むと議論は混乱する。

そして、外来のカルタ遊技は、少しずつ、でも長い目で見れば必然的にしっかりと日本化していったのである。だから『雍州府誌』理解のポイントは、カルタ遊技史発展のどの段階にそれを位置づけるのかという問題である。私は、本書が書かれたのは「合せカルタ」がまだトリックテイキングゲームの粋を脱していない時期であり、そういうものとして素直に読めばかつて「誤記説」が迷い込んだ迷宮に行かなくて済むと考えている。私は、それこそ半世紀前から、こう申し上げている。

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