読みカルタの札の内、「はウ」つまり「青」の「一」「二」「三」は古くから重視され、金銀彩が施されて、「青二」「あざ」「青三」として「金入札」になった。下三役はこの三枚で構成される。『雨中徒然草』は七丁裏にこれを掲載している。「下三(しもざん)」(「青二」「あざ」「青三」)・白絵で三ツ、ゴミ入りで二ツ、である。

「下四光(しもしこう)」役は十七丁裏で紹介されている。「下三」を構成する「青二」「あざ」「青三」に、新たに「青四」が加わった場合である。役点は、白絵で五ツ、ゴミ入りで四ツである。図像では、右から「あざ」「青二」「青三」「青四」と並んでいる。これには当然であるが下三役が加算される。白絵で三ツ、ゴミ入りで二ツ、である。また、白絵の場合は弁天役が付く。役点は三ツでほうびが付く。

「下五光(しもごこう)」役は「青二」「青三」「青四」「青五」「あざ」で構成される。『雨中徒然草』十二丁表にはこの他に「コップの一」も描かれているが余計である。この役は、名称が五光役であるが、「金入札」は「青二」「青三」「あざ」の三枚しかない。五光役とは全く異なる役である。『雨中徒然草』の太楽先生は混乱している。すなわち、同書では、この役は、白絵であれば①五光役が五ツ、②四光役が五ツ、③下三役が三ツ、④弁天役が三ツにほうび一ツで合計十七点であり、ゴミ入りであれば①五光役が五ツ、四光役が四ツ、下三役が二ツで合計十一点とされる。弁天役は十九丁裏の説明では白絵の場合に限定されるのでゴミ入りの場合はつかないところ、「コップの一」があればゴミ入りになり、この役は消える。

ところが、この役の構成札ではここに言う五光役も四光役もできない。この役では得点できない。『雨中徒然草』はひどい勘違いを記している。私なりに計算し直すと、この役は、白絵では①下五光役で五ツ、②下四光役で五ツ、③下三役で三ツ、④弁天役で三ツとほうび、の合計で十六点とほうびになり、ゴミ入りでは①下五光役で五ツ、②下四光役で四ツ、③下三役で二ツ、の構成で、弁天役はつかない。なお、細かいことだが、同書の佐藤要人の解説ではゴミ入りの下三役として「□同三ツ」とあるが原文は「□以下空欄」であって「同三ツ」の記載がない。七丁裏の下三役の説明ではゴミ入りは二ツである。佐藤の誤記であろう。また、佐藤は「ほうひ」を下五光役へのほうびの様に説明しているが、これは配分された九枚の札の中に絵札は「あざ」一枚だけで後はすべて数札という珍しい構成である弁天役へのほうびであり、したがってゴミ入り下五光役の場合はつかない。

下六光
「下六光」(『雨中徒然草』)

この系列の役の極みは十四丁表の「下六光(しもろくこう)」役である。「あざ」「青二」「青三」「青四」「青五」「青の六」の六枚の札が集まった場合である。役点は「打てあつかい」である。これには当然、下五光役、下四光役、下三光役が付くし、白絵であれば弁天役も付く。役点はとても大きくなるので、「あつかい」で処理するのは正しい。

これまでの説明に、しばしば「あつかい」が出てきた。この後にも繰り返し登場するするのでここで説明しておく。「あつかい」は、その役の役点を参加者の間で自由に決めるということである。それが何点であるのかは書かれていない。研究室は三十点と推測しているが根拠はほとんど見えない。それにそもそも、「あつかい」を、すべての場合に同じ役点であるという前提で考える根拠も見えない。「あつかい」にされている役の中にも難易度、希少性には大きな差異があるから、比較的安い「あつかい」と、高い「あつかい」、極上の「あつかい」という差別があって当然である。また、「あつかい」の役点は、読みカルタの遊技仲間ごとに異なっていたのではないかと思われる。團十郎役が高かったり、海老蔵役が高かったり、市松役が高かったりしたであろう。まさに、その仲間での扱いに任されていたのである。『雨中徒然草』はこの多様性を配慮したのであろう、慎重に筆を進めている。それを無視して、「あつかい」は一律三十点と即断して理解する趣旨が分からない。

ここまでの説明の中で、すでに「打てあつかい」とある。後に出てくる「惣十郎(そうじうろう)」役の説明には、「出て四ツ、打てあつかい」とある。佐藤要人は、この「出て」と「打て」に関して、「出して」は配牌後、遊技開始前に、その札を場に晒して役を公開することで、この場合の役点はたとえ上り負けしても役点がもらえるが、「打て」は手中に隠したまま勝負を挑むことで、上り勝ちすれば役点は高いが、上り負ければ無に帰する、と解釈した。私は、「青二から出るは正月ぎりの読み」とあるように「出して」はゲームの最初や途中で札を場に投じることで、「打て」はそれで出し切り打ちあがることを指すと考えている。この認識の違いはとても大きい。

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