(二)筋書かるた

次に、第二のグループとして、役の名前と筋書き、所作を四十八人揃えたかるたがある。私は仮にこれを「筋書かるた」と呼んでいるが、これには「芝居所作かるた」とか「役割かるた」と呼ぶこともできるものも含まれる。具体例としては画工、版元ともに不詳だが幕末期(1854~68)の「筋書かるた(仮題)」(その1、その2、その3)があるが、そこでは、例えば「い」の字札は「いきせきおみわははしりいり(息急きお三輪は走り入り)」であり、そこに言葉に対応する苧環(おだまき)の挿絵がある。これは「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」(御殿の段)の杉酒屋の娘お三輪であり、「息急きお三輪は走り入り」が有名なのは近松半二作の浄瑠璃の台詞であるが、絵札には上の第一グループ「役者絵かるた」と同じく役者の絵姿があるので、歌舞伎に翻案されたものを採ったと考えられる。「ろ」の字札は「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」(阿古屋琴責の段)の「ろく郎なりきよあふせをうけ(六郎成清仰せを受け)」であり、挿絵は洗い桶と柄杓(ひしゃく)である。「に」の字札は「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」(廊下の段)の下女お初「にくいしかたとむねんのおはつ(憎い仕方と無念のお初)」であり、挿絵は草履半足である。これも詳細を紹介しておこう。

筋書きカルタ(仮題)③(版元不詳)
筋書きかるた(仮題)②(版元不詳)
筋書きカルタ(仮題)①(版元不詳)

  

「筋書かるた(仮題)」(画工、版元不明、幕末期)

「いきせきおみわははしりいり(息急きお三輪は走り入り)」

(妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)(御殿の段)・お三輪)

「ろく郎(らう)なりきよあふせをうけ(六郎成清仰せを受け)」

(壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)(阿古屋琴責の段)・六郎成清)

「はつとおどろき久我(くが)の助(すけ)(はっと驚き久我の助)」

(妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)(山の段)・久我之助)

「にくいしかたとむねんのおはつ(憎い仕方と無念のお初)」

(鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)(廊下の段)・下女お初)

「ほんのうのだらくにうせしほうかいぼう(煩悩の堕落に失せし法界坊)」

(隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)(法界坊)・法界坊)

「へだたる思(おも)ひに五郎市(ごらいち)は(隔たる思いに五郎市は)」

(楼門五三桐(さんもんごさんのきり)・石川五郎市)

「どうせきにあいならぶ岩(いわ)なが左(さ)ゑもん(同席に相並ぶ岩永左衛門)」

(壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)(阿古屋琴責の段)・岩永左衛門)

「ちからあしふむ又平(またへい)は(力足踏む又平は)」

(傾城反魂香(けいせいはんごんこう)(吃又)・絵師又平)

「りきやさんのおやしきはもうここかへ(力哉さんのお屋敷はもう此処かへ)」

(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)九段目(山科閑居の段)・小浪)

「ぬからぬおやすがきてんのはやめ(抜からぬおやすが機転の早目)」

(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)(渡海屋・大物浦の段)・おやす)

「る人(にん)あづかるはんぐわんだい(流人預る判官代)」

(菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)(道明寺の段)・判官代輝国)

「をんなにばけてきくのすけ(女に化けて菊之助)」

(青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)(白浪五人男)・菊之助)

「わが身(み)のうへと忠(ちう)べへは(わが身の上と忠兵衛は)」

(冥途の飛脚(めいどのひきゃく)(封印切)・亀屋忠兵衛)

「かん平(ぺい)どのは三十に(勘平殿は三十に)」

(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)六段目(与市兵衛内の段)・早野勘平)

「よろこんでたも梅(うめ)がへと(喜んでたも梅が枝と)」

(ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)(神崎揚屋の段)・梅が枝)

「たけちは名(な)をも身(み)も惜(おし)まず(武智は名をも身も惜しまず)」

(絵本太功記(えほんたいこうき)(尼崎閑居の段)・武智光秀)

「れいのそこつと重忠(しげたゞ)おしとめ(礼の粗忽と重忠捺し止め)」

(ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき(逆櫓の段)・畠山重忠)

「そりや聞(きこ)へませぬ八郎(はちろ)へへさん(そりゃ聞えませぬ八郎兵衛さん)」

(桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさやざめ)(鰻谷の段)・お妻)

「つるのまねする鷺(さぎ)さか伴(ばん)ない(鶴の真似する鷺坂伴内)」

(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)七段目(祇園一力の段)・鷺坂伴内)

「ねみみにびつくり与次郎(よじらう)が(寝耳にびっくり与次郎が)」

(近頃河原達引(ちかごろかわらのたてひき)(堀川の段)・猿廻し与次郎)

「なんと聞(きい)たかさくら丸(まる)(なんと聞いたか桜丸)」

(菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ(車引の段)・桜丸)

「らく花(くわ)みぢんと瀬(せ)の尾(を)の十郎(じうらう)(落花微塵と瀬尾の十郎)」

(源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)(実盛物語の段)・瀬尾十郎)

「むねたう弓矢(ゆみや)取揃(とりそろ)へ(宗任弓矢取揃へ)」

(奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)(環宮明御殿の場)・阿倍宗任)

「うしろの山(やま)より武者所(むしやところ)(後ろの山より武者所)」

(一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)(組打の段)・平山武者所)

「ゐはきにあらぬくまがへも(岩木にあらぬ熊谷も)」

(一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)(熊谷陣屋の段)・熊谷直実)

「のれんのうちよりきたのや七へへ(暖簾の内より北野屋七兵衛)」

(関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)(岩川内の段)・北野屋七兵衛)

「おそのはひとり小(こ)ぢやうちん(お園は一人小提灯)」

(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)十段目(天川屋の段)・お園)

「くび見(み)るやくはまつわう丸(まる)(首見る役は松王丸)」

(菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ(車引の段)・松王丸)

「やかたの娘(むすめ)やへ垣姫(かきひめ)(館の娘八重垣姫)」

(本朝二十四孝(ほんちょうにじゅうしこう)(十種香の段)・八重垣姫)

「まさなきこともまさおかが(まさなきことも政岡が)」

(伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)(御殿の段)・乳母政岡)

「げにただならぬ忠(たゝ)のふも(げにただならぬ忠信も」

(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら(川連法眼館の段)・佐藤忠信)

「ふびんながらもしんさくは(不憫ながらもしんさくは)」(不詳)

「こなたの岸(きし)よりだざいのこうしつ(こなたの岸より太宰の後室)」

(妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)(山の段)・定高)

「えんやがつまのかほよごぜん(塩谷が妻のかほよ御前)」

(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)大序(鶴ケ岡)・かほよ御前)

「てをいながらもぬからぬ本蔵(ほんぞう)(手負いながらも抜からぬ本蔵)」

(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)九段目(山科閑居の段)・加古川本蔵)

「あこやが心(こゝろ)のにごり水(みづ)(阿古屋が心の濁り水)」

(壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)(阿古屋琴責の段)・遊女阿古屋)

「さすがにたけき五右衛門(ごへもん)も(さすがに猛き五右衛門も)」

(楼門五三桐(さんもんごさんのきり・石川五右衛門)

「きのふそつたもいまとうしん(昨日剃ったも今道心)」

(苅萱桑門筑紫𨏍(かるかやどうしんつくしのいえづと)(五段目)・刈茅道心)

「ゆふぎりなみだもろともに(夕霧涙諸共に)」

(夕霧名残の正月(ゆうぎりなごりのしょうがつ)・遊女夕霧)

「めつたむしゆうに丈八(ぢやうはち)が(滅多むしゅうに丈八が)」

(恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう)(お駒才三)・手代丈八)

「みるより義平(ぎへい)は心(こゝろ)もそら(見るより義平は心も空)」

(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)十段目(天河屋の段)・天川屋義平)

「しんべへがさしだす顔(かほ)はなみだにて(新兵衛が差し出す顔は涙にて)」

(助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)(助六)・新兵衛)

「ゑんのしたには九太夫(くたいふ)が(縁の下には九太夫が)」

(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)七段目(祇園一力の段)・斧九太夫)

「ひならずもとの源太(げんだ)かげすへ(日ならず元の源太景季)」

(ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき(源太勘当の段)・源太景季)

「もとよりかくごのいな川(がわ)が(もとより覚悟の稲川が)」

(関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)(相撲場の段)・岩川)

「ぜひもなくなくたまおりは(是非もなく泣く玉織は)」

(一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)(経盛館の段)・玉織姫)

「すはくせものと沖(おき)の井(ゐ)が(すは曲者と沖の井が)」

(伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)(足利家竹の間の場)・沖の井)

「京の六ぢやうじゆずやまち(京の六條数珠屋町)」

(恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい)(新口村)・遊女梅川)

この「筋書きかるた」のグループで圧倒的に人気があったのが「忠臣蔵かるた」であり、多数の作品が今にも残されている。例えば歌川芳員(うたがわよしかず)画で嘉永五年(1852)、芝泉市(甘泉堂・和泉屋市兵衛)板の「新板忠臣蔵かるた」[1]では、「い」の札は字札が「いきじをはりのつるが岡(意気地を張りの鶴が岡)」で、絵札はかほよ御前である。「に」は「にかいから見るのべかゞみ(二階から見る延鏡)」で、絵札はお軽が由良之助の読む密書を二階から延鏡で盗み見る場面である。その他「うんのつきのすみべや(運の尽きの炭部屋)」、「てうちのそばきり(手打ちの蕎麦切り)」、「あいことばの天とかわ(合言葉の天と川)」などの討入前後の名場面が続く。作者不詳、版元不詳であるが明治前期(1868~87)の「新板忠臣蔵かるた」も同趣旨の物であるが第五章で扱う。

忠臣蔵関連では、このように場面の描写が主眼のかるたのほかに、「義士銘々伝かるた(仮題)」(その1、その2、その3)と呼ぶ方が適切であろうか、「ろうじんなれども堀部弥兵衛(老人なれども堀部弥兵衛)」、「ほりべ安兵衛きたえし腕前(堀部安兵衛鍛えし腕前)」、「かん崎与五郎つけいつたり(神崎与五郎付け入ったり)」、「まい原伊助鑓のはたらき(前原伊助鑓の働き)」、「あか垣源蔵かたみの徳利(赤垣源蔵形見の徳利)」など義士の名前を挙げてその活躍を主題にしたかるたもある。義士の名前が歌舞伎の舞台上の役名ではなくて講談などで知られていた本名なので厳密に言えば「芝居遊びかるた」の範囲を超えた「忠臣蔵かるた」であるが、「義士銘々伝」の芝居もないでもないので、不揃いの史料であるがこの際このグループの一部として紹介しておく。

義士銘々伝かるた(仮題)③(版元不詳)
義士銘々伝かるた(仮題)②(版元不詳)
義士銘々伝かるた(仮題)①(版元不詳)

 

 

「義士銘々伝かるた(仮題)」(画工、版元不明、幕末期)

「いちみとゝうの惣大将」(一味徒党の惣大将)

「ろうじんなれども堀部弥兵衛(ほりべやべゑ)」(老人なれども堀部弥兵衛)

「ばんしう赤穂(あかう)の城(しろ)わたし」(播州赤穂の城渡し)

「にげるてきには目(め)をかけるな」(逃げる敵には目を掛けるな)

「ほりべ安兵衛(やすべゑ)きたえし腕前(うでまえ)」(堀部安兵衛鍛えし腕前)

「へ」(欠)

「と」(欠)

「ちうしん義士(ぎし)の名(な)をのこし」(忠臣義士の名を残し)

「りよう国(こく)(こく)ばしでくゐとめる」(両国橋で食い止める)

「ぬ」(欠)

「るいなき功名(こうめう)千葉三郎兵衛(ちばさぶろべゑ)」(類なき功名千葉三郎兵衛)

「をゝいし主税(ちから)は裏門(からめて)の大将(たいせう)」(大石主税は裏門の大将)

「わく半太夫(はんだゆう)とわたりあひ」(和久半太夫と渡り合い)

「かん崎(さき)与五郎つけいったり」」(神崎与五郎付け入ったり)

「よ川(かわ)の勘平(かんぺい)一ちばんのり」(よ川〔横川〕の勘平一番乗り)

「たけ林(はやし)只七(ただしち)一ちばん鑓(やり)」(竹林只七一番鑓)

「れんばん状(せう)に血判(けつばん)し」(連判状に血判し)

「そろいの半(はん)てん火事装束(くわじせうぞく)」(揃いの半纏火事装束)

「つ」(欠)

「ねみみにひびくじんだいこ(寝耳に響く陣太鼓)

「なんのその岩をもとうすくわの弓(ゆみ)」(なんのその岩をも通す桑の弓)

「らんにうなしたるやしきのうち」(乱入なしたる屋敷の内)

「むら松(まつ)三太夫はしらきり」(村松三太夫柱切り)

「うらおもてより乱入(らんにう)し」(裏表より乱入し)

「ゐこんかさなる吉良上野(きらかうつけ)」(遺恨重なる吉良上野)

「のちのかたみに九寸(すん)五分(ぶ)」(後の形見に九寸五分)

「おとことたのむ天(あま)のや利平(りへえ)」(男と頼む天野屋利平)

「くさりぢはんに身(み)をかため」(鎖襦袢に身を固め)

「やまと川との合言葉(あいことば)」(山と川との合言葉)

「まい原伊助(ばらいすけ)鑓(やり)のはたらき」(前原伊助鑓の働き)

「け」(欠)

「ふ破数(はかず)右ヱ門赤穂(あかう)へかけ付(つけ)」(不破数右ヱ門赤穂へ駆け付け)

「こうと忠(ちう)とに茅野三平(かやのさんぺい)」(孝と忠とに茅野三平)

「え」(欠)

「てうちの蕎麦(そば)に名(な)とりのすいもの」(手打の蕎麦に菜鳥の吸物)

「あか垣源蔵(がきげんざう)かたみの徳利(とつくり)」(赤垣源蔵形見の徳利)

「さきがけなしたる原惣右ヱ門(はらそうゑもん)」(先駆けなしたる原惣右衛門)

「ぎしのめんめんいさみたち」(義士の面々勇み立ち)

「ゆみ矢(や)をもつて村松勘六(むらまつかんろく)」(弓矢を持って村松勘六)

「めつぶしになげる金火鉢(かなひばち)」(目潰しに投げる金火鉢)

「みむら次郎右ヱ門敵(てき)とわたり合(あい)」(三村次郎右ヱ門敵と渡り合い)

「しじう七士(し)の勢揃(せいそろ)ひ」(四十七士の勢揃ひ)

「ゑ」(欠)

「ひばなをちらして間新六(はざましんろく)」(火花を散らして間新六)

「もんをやぶつて大高源吾(おおたかげんご)」(門を破って大高源吾)

「せんがくじへとひきあげる」(泉岳寺へと引き上げる)

「すみ部屋(へや)へにげかくれ」(炭部屋へ逃げ隠れ)

「御褒美(ごほうび)は菓子(くわし)一トツ」(ご褒美は菓子一つ)


[1] 『歌留多』平凡社、昭和五十九年、一七七頁。