『博奕仕方風聞書』は、賭博の取締り当局者が執務のために書き上げたものであり、記述された内容については寛政年間の賭博の実情を正確に描いたものとして信頼性が高く、カルタ史の研究者たちはほとんど史料批判を加えることなく活用してきた。だから私は、この報告書の執筆者を検討し、文書完成の時期を特定しようとした研究室の作業は高く評価している。ただ、私は、これは奉行所の者がたまたま捕まえた者から聞き出した間接取材であろうと考えている。遊技法の説明にリアリティが欠けているのである。

臨時廻りである筆者によると、読みカルタは四人で遊技するものであり、まず第一番の者、通常は親と言っているが、この者が「一」「二」の札を出し、「三」の札がないので第二番の者に手順を渡し、この者が「三」と「四」の札を出し、「五」がないので第三番の者に手順を渡した。ところがこの第三番の者にも、親にも「五」の札がないので手順が第二番の者に戻り、この者が「八」「九」「十」と手札を打ち切ったので勝ちになるというのである。四人で遊技を行うと書いているのに、第四番の者はどこにも登場しない。これは奇妙である。また、「五」の札に関して言うと、第二番の者の手札になかったので第三番の者に手順を渡し、その者にも、第一番(親)にも手札に「五」がないので第二番の者の手順に戻ったとある。結局、三人とも「五」の札を持っていない事になるが、いったいどこに消えたのであろうか。それとも、第二番の者が手札の「五」を隠して第三番の者に手順を渡したのだろうか。そうだとしたら、第二番の者は、手順が戻ってきた時になぜ手札の「五」の札を出さずに「八」「九」「十」を出したのか。これでは「五」が残ってしまって上がれない。

要するに、この記述では、四人で争っているのか、三人なのかが分からないし、上がり方も分からない。言い換えれば、臨時廻りの者には、読みカルタの遊技の手順がまるで分っていないのである。これが実際に遊技の進行を目にしていない間接取材だと判断した直接のきっかけである。だが、考えてみれば当たり前の話であり、北町奉行所の取締り担当者、お上のお偉いさんが、博徒が主催する賭場に出かけて博奕の読みカルタの実際を取材することなどありえない。だが求められているものは博奕犯罪の実情の報告書なのであるから、そこいらの町内で行われている素人の遊技では意味がない。玄人の行う真剣な博奕行為を取材した記録でなければならないはずである。だから、多分、北町奉行所が捕縛した博徒から牢内で聞き出した話なのだと思う。そして、町奉行所の取り調べの実際から見れば、臨時廻りが自分から牢内に出向いて直接に博徒から聞き出すことなどもあり得ない話であり、多分、岡っ引きレベルの手先の者に聞き取りをさせた上でのまた聞きであろう。そうであれば、この、いかにも小役人らしい半可通の簡略な説明になってしまった理由も理解できるのである。だが、同時にこれは、『博奕仕方風聞書』という公式の報告書なのに、そこでの「読みカルタ」の説明の信ぴょう性に大きな疑問が付く結果にもなる。

もう一つ致命的なのは、この説明には、読みカルタの「役」に関する説明が全く存在しないことである。すぐ前のめくりカルタの説明の箇所にはきちんと「役」の紹介があるのに読みカルタにはないのである。「役」がない読みカルタなんて、天婦羅のない天婦羅蕎麦のようなものである。天婦羅蕎麦について説明すると言っているのに蕎麦の話ばかりで終始して天婦羅の「て」も出て来ない。それでは単なるカケ蕎麦の説明である。直前の天婦羅うどんの説明の方にはきちんとエビ天やかき揚げ天等の説明があるのに。多少なりとも読みカルタを知っている者であれば、役の説明の欠落は痛々しすぎる。

この文書は、さすがに取締り当局者の筆で、賭金のやり取りについては詳しい。だが、その内容も雑で、よく理解できない。私は、『博奕仕方風聞書』全巻の記述がすべておかしいと言っているのではない。他の種類の博奕に関する説明の部分ではもっとリアリティのある文章も見える。私が言いたいのは、残念ながら読みカルタの部分は記述に信頼性が低く、これに依拠してこのカルタの遊技を語ることはできにくいということだけである。ついでに書いておくが、この文書では、読みカルタに使っているのはめくりカルタ札であるとされている。取締りのプロなら、めくりカルタ札と読みカルタ札は区別していただろう。私は、この史料の信頼性が疑われる以上、この記述も実見によるものであるとは思い難く、したがって判断を留保せざるを得ない。寛政年間(1789~1801)の江戸に、めくりカルタ札は入ってきているが読みカルタ札は入っていなかったのであろうか。よくわからない。それに、めくりカルタ札四十八枚から赤絵札十二枚を除いたら三十六枚であって三十七枚ではないだろうとからかいたくもなる。この程度の計算もできなくて狡賢い博徒の取締りをするなんて、大丈夫なんですか。

『博奕仕方風聞書』への悪口が過ぎたであろうか。私は、法律の世界で、権力者や権威者の書き残した文章には虚言が多いという警戒心を以て接してきた。その癖がカルタ史研究でも抜けないで、ことさら厳しく扱い過ぎたのであろうか。でも、この文書は、なんといっても記録の残らない博奕の実情を広く取材して記録したものとしては希少な例であり、これまで述べてきたような間接取材の限界を考慮しつつ読み解けば、それなりに活用の道も開けるであろう。私も、そんな気持ちでこれに接して、いくつかの情報を得ている。活用できるところではそうしている。そうした評価まで台無しにすることはなかろう、と思う。

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