(二)『雨中徒然草』の正体は読みカルタ好きの書いた趣味本

以上、『雨中徒然草』と詳細に付き合ってみると、その正体が見えてくる。本書は、明和六年(1769)正月の「叙」と、翌明和七年(1770)正月の「跋」に挟まれた半紙版半裁二ツ折、横本、序九丁、本文三十丁、合計三十九丁の出版物である。どうやら、明和六年(1769)の正月に出版しようと準備したが不十分だったのか満足できなくて延期になり、一年取材を重ねた後に跋を添えて出版されたものである様に見える。佐藤要人は明和六年(1769)初版、翌七年(1770)再版だというが、私はそうは見ていない。「つなぎ馬」のミスプリントからこれは初版であると判断した事情はすでに述べた。

そうすると、これが読みカルタの教則本であるというのは変である。正月とは妙な時期の出版物である。これから読みカルタをもっと知りたいと思うのは、この遊技が一番盛んになる新年の仕事休みの時期を前にした、前年の師走でなければおかしい。「三拾軒組」の白木屋、木屋、鍵屋をはじめ大小の店の店頭にカルタ札がうず高く積まれて大売り出しになるこの時期にこそ、カルタ札とともにこういう本の需要があるはずである。それが正月になってから遊技法や役を学ぶのでは、六日の菖蒲、十日の菊、時機に遅れている。

次に、この本を出版物として見ると、版元の記載はなく、題簽も欠けている。日本かるた館の復刻版は、「叙」冒頭の題目を転写して題簽に代用している。序が九丁、本文が三十丁であり、途中に三箇所無駄なスペースがある。明和六年の年末までに内容を補充したがうまく頁に納まらなくてこうなったのだと思うが、原稿が一気に作成されたものではなく、継ぎ足し継ぎ足しであった事情を窺わせる。記述にもいろいろと問題があって、出版物としての完成度は低い。

こうした事情は何を物語っているのか。私は、この本は、一般に商品として売り出された書物ではなく、太楽先生という、読みカルタ遊技が大好きな特定個人が自費で作成し、正月に身近な家族、友人、知人に年賀の祝物として配布した私家版、非売品の娯楽本と思っている。もしかしたら本当に「御年賀」と書かれた包装紙に包まれて配布されたのかもしれない。本書の内容の基になったのは、一年以上をかけて実際に取材した江戸各地の読みカルタ愛好者仲間の実践例であろう。読みカルタ全盛期の江戸であるから、相異なる地域の相異なる仲間によって、同じ読みカルタといっても役も違えば、その名称も違う。役点だって同じではない。そういう雑多な情報をうまくまとめたのが本書であると思う。仲間内に配るものだから、記述は雑だし、遺漏も多い。そんなことに気を配るよりも、あちこちの愛好者の間で流行している新しい役を自分の友人に紹介する楽しみの方に気持ちが傾いている。友人同士の内輪話だから、御禁制の金銭を賭ける遊技法まで赤裸々に書いている。これが『雨中徒然草』という稀有なカルタ本の正体だと思う。正規の出版物ではないから奥付もない。

そこで、本書を読む際には、筆者の浮き立った気分に共鳴しながら、友人になったようにともに楽しむという姿勢が必要になる。太楽先生が、こんなに面白い役を考え出したカルタ好きの連中がいたんだと感心しながら紹介している様子、同じ役なのに名称が各町内、各商売、各遊里の仲間ごとにこんなに違うんだと驚いている様子、そして、太楽先生自身が試みている粋な仕掛けなどを楽しみながら読み進まないと、本書の理解を誤る危険性がある。もともとそれほど厳密に考えて記述したものではないのに、事細かに読み込んで矛盾や遺漏や過誤を指摘しても江戸の読みカルタ遊技の解明にはあまり生産的ではない。役点の記載が混乱していても、広いお江戸なのでこんな決めで遊技している連中もあれば、あんなやり方の連中もあるんだと考えればそれほど腹も立つまい。役点の記載がないのは、読んだ人が実際に遊技で使おうというのならば、何点の役にするのかはご自分で自由にどうぞお決めくださいという太楽先生のお勧めと理解したらどうだろうか。中には太楽先生ご自身が思いついたばかりの新役なのでまだ役点が定まっていないものも紛れ込んでいるのではなかろうか。私には、こういう意味で共感できる点が多いし、よくぞこんな面白い本を残してくださったと感謝の気持ちも大きい。

本書を読んで改めて思うことは、江戸における全盛期の読みカルタ遊技の多様性である。統一的な遊技法を定めて執行させる権威などどこにもいない。雨後の筍の様に、さまざまな遊技仲間が誕生して、上方から伝来した遊技法を基に自己流に改良して遊ぶ。カルタ札は何といっても「笹屋読みカルタ」が一番人気で江戸中の店で山の様に売られている。明和年間と言えば江戸で「めくりカルタ」も新たに流行し始めた時期で、こちらは、最初は「笹屋読みカルタ」を使っていたが、その後はそれ専用のめくりカルタ札を使うようになった。京都には、兜屋、鍵屋、俵屋、鶴屋、銭屋、湊屋等のカルタ屋があって江戸の市場に乗り出してきたし、大坂の天狗屋も「めくりカルタ」作りで頑張っていた。

『雨中徒然草』最終ページ

だが、それでも、読みカルタの遊技の骨格は共通である。一人に九枚の手札を配分して数の順に出して一番早く打ち切った者が勝者である。ただ、勝敗は役点の大きな役が手札に付いたときにいかに素早く上がるかという作戦で決まる。そして、役になる札では、七枚の「金入札」の果たす役割がとても大きく、紋標「青」の札の優位は際立っている。近代の人間の遊技における公平性の感性からするとちょっといただけない所もある。紋標「オウル」や「コップ」の札との格差はほとんど身分差と言っても良いくらい隔絶している。とはいうものの、それは読みカルタ遊技内部でのルール上のアンバランスであって、遊技の成立自体はバランスが取れている。身分格差が激しい封建の世であっても、遊技に参加している間はみな平等に一つのルールに従う。だから、使用人が主人に勝ち、小僧が親方に勝ち、嫁が姑に勝ち、女性が男性に勝つこともある。正月の休みくらい、男女が入り混じり、主と家来が入り混じり、長老と若造が入り混じり、見知らぬ隣町の人が入り混じり、身分の差など脇に置いて、皆でカルタを打って遊び、新年を喜び楽しもうではないか。太楽先生の最後の文章はこう結ばれている。

「かるたは人の心をうきたて、わつさりとにきわしき(賑わしき)か第一なり。‥‥正月、かるた打て楽しむ人は、冬年ゆるやかなる故なり。正月、かるたをうたぬ人は、とこやらか、三ほふ(三方)のかはらけ(土器)そこ(底)なき心地ならん。また来春も目出度打ませう。 狂哥に 長生の豆を加そふ留(かそふる)みのたから うちての子槌(つち)ふゆる孫槌(つち) 明和七 寅の正月目出度日」