ウンの札
ウンの札(上・蝙蝠龍、下・火焔龍)

残っているのは「ウン」と「スン」である。「ウン」は七福神の図像であり、「ハウのウン」は大黒天、「イスのウン」は寿老人、「コップのウン」は布袋、「オウルのウン」は恵比寿、「グルのウン」は七福神外の達磨である。七福神は日本で考え出された編成であり、うんすんカルタ日本考案説の論拠になるが、内容的には、インドと中国の俗神である。中国からの伝来当時には「八仙」の図像であったものを同じ中国の俗神で日本人になじみの深い七福神に変えたのだろうか。それとも、日本オリジナルなのであろうか。なお、七福神のメンバーの図像は大同小異であるが、達磨の図像は、「蝙蝠龍グループ」では坐った姿であるが、「火焔龍グループ」では立ち上がって漂泊の宗教者っぽく描かれている。なお、江戸時代中期(1704~89)の半ばであろうか、「オウルのウン」が達磨で、「グルのウン」が恵比寿という入替が生じる。これも、このかるたの制作時期を判断する際の一つの基準である。⑩の「大津展示品」はまさにこの入替後のものである。この⑩では、座っている者も多い五人の「ウン」がいずれも立ち上っており、大黒が元々は米俵の上に立っているのにそれが消えて地面に立っており、恵比寿が釣竿を持っていないなど、うんすんカルタ図像の伝統からの逸脱が激しい。それがこれを江戸時代初期のものとは鑑定できない一つの理由になっている。

スンの札
スンの札(上・蝙蝠龍、下・火焔龍)

一方、「スン」は、五紋標とも中国の官僚であり、体の向きなどに違いがあるものの、これも大同小異であり、「ウン」の札の七福神のように特に誰と特定できるものではない。なお、「火焔龍グループ」の⑥「滴翠蔵金地」、⑦「滴翠蔵九曜紋」、⑩「大津展示品」では、官僚は君主の椅子のような高級感あふれる椅子に坐っており、高位の人であることが示されている。

結局のところ、「ウン」と「スン」が中国の匂いを強く漂わせているものの、それが、中国から伝来したからそうなのか、あるいは日本で考案された際に中国文化へのあこがれを込めてこうなったのか、両説とも成り立ちそうでどちらとも決めかねる。こうしてうんすんカルタの図像を詳細に検討してみると、そこに一つのイメージが見えてくる。それは、絵札の強弱、高低の順が、なぜ、最上位が中国の高級官僚で、次が七福神で、第三が女性の「ソウタ」で、第四が龍の「ロハイ」で、第五が「キリ」で、第六が「ウマ」なのかという、この序列の合理的な説明ができるかということに関わってくる。

問題解明の入り口は「キリ」にある。この札はヨーロッパでは君主であった。王冠をかぶり、椅子に坐り、王家の紋章の入った楯を傍らに持つ姿は、君主を意味することに疑問はなかった。ところがこれがアジアに来ると、別の理解を産む。端的に言うと、日本の文献史料で、「キリ」を君主の図像としたものはない。図像を見ると、王冠は兜に変化し、着衣は鎧に変化し、楯は消滅し、君主が武将に変身している。そして文献史料では、武人の腰掛ける姿と紹介されている。

たしかに、「キリ」は武将だと理解すると、「ウマ」は騎馬武者、「キリ」は上位の武将でつじつまが合う。そして武将より強いのは、神々の世界に関連するものであり、まず霊力のある龍であり、それより高位にあるのが弁財天のような天女であり、天女より上位に仙人、聖人、俗神がいる。こう考えると、この序列は、ヨーロッパのカルタのアジア的な図像の理解ないし誤解からすればまっとうなものであることが分かる。「キリ」は王者であるという観念で見ると大混乱する序列が、武将と見ることで一応は整然としたものに見える。そして、俗神よりも高級官僚の方が上位だという構成は、どんな武将よりも宮中の官僚や公家の方が序列が上で位が高い中国や日本の宮廷を想起させる。この観念をだめ押しするように、⑧「すんくんカルタ」では「スン」より上位に「クン」が加えられ、それは「君主」の「君」だと説明される。図像も中国の皇帝らしく描かれている。なる程なというのが私の意見、いや印象、感想である。日本人よりも中国人が考え付きそうなイメージであるとも思える。あまり学問的でない想像だけで申し訳ない。

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