(一)読みカルタのカルタ札

『雨中徒然草』表紙(近世風俗研究会、昭和五十年)

読みカルタの遊技法に関するまとまった史料が少ない事情は、江戸時代中期(1704~89)にまで引き継がれる。読みカルタの内容を詳細に説明した文献は、読みの遊技が最盛期を迎えていた明和七年(1770)に刊行された『雨中徒然草』[1]まで待たねばならなかった。同書は、この時期の読みの遊技で成立していた百に近い「役」を図解して説明する趣旨の冊子であり、そのために札の構成や遊技法のその他の点にも言及するところがあり、全盛期の遊技法を生き生きと伝えてくれている。読みカルタが誕生してから百年以上たち、流行が継続して遊技法にも相当に変化が生じた後の記録であるが、これに依拠して遊技法を推察する以外に、読みカルタの姿を解明する手立てが見当たらない。

まず、読みカルタのカルタ札は、当初から京都の賭博系カルタを用いていた。江戸時代前期(1652~1704)には、六条坊門(五条橋通)にあった松葉屋と布袋屋が最も著名であった。だが、後に江戸時代中期(1704~89)には江戸で笹屋のカルタ札の評判が上がり、賭博系のカルタ札を全体として「笹屋かるた」と呼ぶこともあった。『雨中徒然草』に掲載されている「太鼓二」の図像は、札上部の紋標オウルに竹の絵があり、下部の紋標に梅花があり、笹屋のカルタ札であろうと推測される。そして笹屋の札のもう一つの特色は、「えび二」札の上部にある図像や金銀彩で、しめ縄型、エビ型、カニ爪型などが見られている。笹屋カルタではこれを海老と見たてるところから、「べに三」(「えび二」「あざ」「青三」)、「ゑひそう(海老蔵)」(「えび二」「赤の一」「赤の十」)という役が成立している。また、しめ縄型やカニ爪型も流行の笹屋カルタの意匠を真似た他のカルタ屋のデザインと考えられる。この箇所に布袋の姿がある「布袋屋カルタ」や生首のある「松葉屋カルタ」では海老蔵にならない。大雑把に言えば、上方では布袋屋カルタが多く好まれ、尾張、中京、北陸では松葉屋カルタが好まれ、江戸では笹屋カルタが好まれたのである。

なお、笹屋を江戸に有ったカルタ屋と理解する者がいるが誤りで、江戸で評判の高かった京都市内のカルタ屋である。文献史料での初出は貞享元年(1684)の『俳諧引導集』[2]の「かるたに今時のかるた屋、布袋屋、松葉屋、笹屋、是等の類を付るに正風躰のかたい俳諧師聞ては新し過たりといふて肝をつふす」であろう。これは京都のカルタ屋を列挙した表記である。但し、京都市内でのこの店の所在地は分らない。いずれ六条坊門(五条箸通)辺りであろうが、記録が残っていない。また、江戸での流行ぶりを最もよく示すのが、私が『ものと人間の文化史173 かるた』で紹介した安永三年(1774)十二月の、町奉行所による突風のようなカルタ禁圧の騒ぎ[3]であり、この時江戸の織物・小間物問屋組合である「三拾軒組」に属する白木屋彦太郎、木屋九兵衛、鍵屋彦次郎などは、正月商戦に向けて店頭に陳列していた「笹屋よみかるた」を、白木屋だけでも五千組も封印され、厳しく咎められて、これを機会に上方の店に連絡してカルタ商売から手を引いた、と記録されている。『雨中徒然草』刊行の五年ほど後の事である。

読みカルタの遊技法は、基本は一組のカルタ札をすべて参加者に配分して、一定の決まりに添って一、二、三の順序で場に捨て、早く払い尽した者が勝ちということである。細かくは各種の特例があり、時代、地域によって変化している。江戸時代中期(1704~89)の読みカルタ全盛期の遊技法については同時代の記録がいくつかあるが、江戸時代前期(1652~1704)については必ずしも明確に分かっているものではない。特に、読みでは配分される札の良し悪しが勝負に大きく作用するのであり、そこに「一」や「二」の札は捨てる機会が少なくて不利なので、それが重なった場合は同時に複数を出すことができたり、撒き直しを求めることができたりするようになったし、各種の手役が成立したりもするのであるが、時代、地域による変遷が大きい。

一番大きな食い違いは使用するカルタ札の枚数であり、江戸時代後期、寛政年間(1789~1801)の『博奕仕方風聞書』[4]では、江戸であろうかと思われる地方で、読みでは一組四十八枚の賭博系カルタの札から「赤」札を除いた三十七枚を用いるとあるから、「えび二」以外の十一枚を除外するのであろう。同書では、遊技に参加するのは四名であり、九枚ずつ配分して残りの一枚を「死絵」として脇に除くとある。この枚数であれば遊技法は確かにずいぶんと簡素化されるが、果たしてこれがいつごろからどの地域でどの程度に普及していた遊技法であるのかは分らない。

また、賭博としての賭金であるが、一銭二銭とか、二文四文と言われるように少額であり、仮に一時間に八回勝負をして全敗しても、二文八回で十六文、そば一杯の値段である。友人同士で遊べば勝ったり負けたりであり、全敗ということもないのでこの額にも達しない。このような少額の賭博を幕府や各藩が本気で重罰に処したとは思えない。読みはアマチュア向けの賭博カルタ遊技である。

 


[1] 太楽『雨中徒然草』(『江戸めくり賀留多資料集』)、近世風俗研究会、昭和五十五年。

[2] 西国編「俳諧引導集」『貞門談林俳諧集』早稲田大学出版部、平成元年、五一八頁。

[3] 江橋崇『ものと人間の文化史173 かるた』法政大学出版局、平成二十七年、一九八頁。

[4] 山田清作『博奕仕方風聞書』『未刊随筆百種第二』米山堂、昭和二年、四一三頁。