(二)読みカルタ札の枚数、遊技参加者の数

読みカルタ遊技図(プライス・コレクション、『江戸の遊戯』)

『雨中徒然草』は山口格太郎が市中で発見して滴翠美術館で所蔵し、その寛大な学術上の厚意で日本かるた館による研究に提供され、復刻と同人の佐藤要人による翻刻、解説の出版がなされたものである。これにより、読みカルタの研究は飛躍的に向上した。私が日本かるた館の会合に参加するようになった今から四十年以前の昭和五十年代(1975~84)にはすでに公刊されており、むさぼるように学んだが、同館の研究、翻刻、カルタ札の復元には何点か疑問が残った。今、当時の研究メモを読み返してみると、東京、芝高輪の森田誠吾の会社の会議室での座談など、同人たちとの交際のあれこれが懐かしく思い出されるが、同時に、当時感じていた疑問を直接に同人に提起して詰めておかなかった未熟さ、不徹底さ、当時最高水準の研究者仲間であった同人たちに問いただすことができなかった自信のなさへの悔悟の気持ちも無くなることはない。

思い出話はさて措くとして、本書の説明に入りたい。本書は、まず、長文の「叙」から始まる。その多くは天地の理など様々なことにかこつけてカルタ遊技の道義的な正しさを述べるものであるのでここでは紹介を省略するが、「書付をミれは」ではじまる第三の文節にこのような記述がある。「三々九の数をまき、落繪(おちへ)と云テ一枚とるは大極なり。四所へ九枚つゝまくは四九三十六しんをかたとり、一人休(やす)むときは繪数三九二十七、右の大極一枚をくわへて天の二十八星をとれり。」(句読点を適宜に補った。以下同じ。)これは読みの遊技法での札の配分方法を述べており、四人の参加者の各人に一度に三枚、それを三回、合計九枚の札を配分し、残された一枚を「落絵」(以下「繪」は基本的に「絵」の字を用いる)として遊技から除外するのである。これにより、標準的な読みの遊技では、参加者は四人、使用する札は三十七枚であることが分かる。

次に問題なのは読みの遊技に参加する人数である。江戸時代後期の『博奕仕方風聞書』は四人と断定しているが、江戸時代中期までの文献史料では五人とする場合もある。一組四十八枚の賭博系の札を使うときには、五人であれば配分される手札が一人九枚宛で、残りの三枚を落絵にすればよいが、四人だと一人十二枚で手札が多すぎて繋がりやすくて面白くない。四人で遊技するときは、確かに『博奕仕方風聞書』が言うように「赤」を十一枚除外して一組三十七枚にして、一人に九枚ずつ配分して一枚を落絵にすれば五人遊技と同じ手札九枚のリズムで遊技が成立する。さらに、『雨中徒然草』には、三十六枚の札を四人に一人九枚ずつ配分して、そのうち一人が下りた時は三人で二十七枚で勝負する趣旨の記述がある。井原西鶴の『懐硯』[1]の場合は、四人の船客の小者同士が読みを始めたのであるから四人かなと想像されるが、供が二人いる船客がいれば五人の遊技になるし、逆に小者を伴わない船客がいれば三人の遊技になるのであるから四人と断定はできない。

つまり、江戸時代前期、中期、後期の文献史料を並べて考えると、読みカルタの遊技は、当初は一組四十八枚の「天正カルタ」を用いて行い、五人が参加して一人九枚ずつの札の配分を受け、残り三枚を落絵としたのであるが、後に四人で遊技する方法も開発され、その際にゲームの性格を変えないように四十八枚の札の内から十一枚を除いて三十七枚にして、一人に九枚を配分して一枚を落絵とするようにしたが、その後さらに三人で遊技する、九枚ずつ配分して一枚を落絵とする方法も開発されたということであろう。

ここで注目されるのは、四人の内の一人が「休む」ことができるルールが示されている遊技法である。配分された札の具合がよくなくて勝てそうもないので降りる、これは他のカルタ遊技でもあることであるが、いくらかの賭銭、「降り賃」は支払わねばならない。これが高額だと万一の僥倖、逆転を期待して無理にも遊技に参戦することになるから、降りるというルールがあるのは、降り賃が、敗戦で支払わねばならなくなる賭銭よりも少額で、傷を深くしないように降りるという選択が成り立っていることを示す。そして、一人が降りた場合にその者に配分されていた札は残りの三人に再配分されるとは書いてないのでそのまま落絵になるのであろう。ということは、ゲームから除外する札が十枚にも達することになり、一二三の順で札を出そうとしても、ある数の札が落絵に多く含まれていていて三人の誰もがその数の札を持っておらず、ゲームがそこで止まってしまう危険性がある。そういう不都合が起きていないのであるから、読みの遊技法の中に、参加者がいずれもその数の札を持っていない場合はルールで定めてある誰かが任意に他の数の札を出してゲームを再開してよいというルールがあったであろうことを推測させる。

なお、『雨中徒然草』はカードのことを札と呼ばないで「絵」と呼んでいる。落絵とは、ゲームの外に出されて使われなくなった「札」という意味の外に何か、図像に関することを言っているのではない。日本かるた館同人はこの「絵」に役者目付絵や役者死絵に通じる「図像」の意味を持たせていると解釈してその洒落やもじりの精神を評価している[2]が、もう少し簡単に、単に札のことを、絵札と数札を区別することもなく「絵」と呼んでいたと理解して支障はない。

 


[1] 井原西鶴「懐硯」『対訳西鶴全集』明治書院、平成四年、七六頁。

[2] 佐藤要人『江戸めくり賀留多資料集解説』、近世風俗研究会、平成五十五年、四二頁。