三 花札賭博の横行 (五)「武蔵野」の終焉 こうして、明治中期(1887~1903)、騒々しい「八八花札」ブームのさなかに、江戸時代中期後半の明和、安永、天明年間(1764~89)に誕生したであろう木版の花合せかるた、「武蔵野」は、百年余りの歴史の末に終りの時を迎えた。この終期が示せるように、このウェブサイトでは、花札のコレクション画像の中に、京都のかるた屋、田... 館長
三 花札賭博の横行 (四)豆絵本『小児教訓カルタ合戦』の出版 『小児教訓かるた合戦』 (横山長八版、明治二十二年) 明治時代(1868~1912)の東京、下谷区に、横山長八というかるた制作業者がいた。東京のいろはかるた制作業では長谷川忠兵衛、牧金之助(金寿堂)らと並ぶ大手であったが、押し寄せる近代化の波に乗るべく、この時期には「単語かるた」「武者かるた」「英語ことわざカルタ」など... 館長
三 花札賭博の横行 (三)賭博犯処罰規則の制定 これに手を焼いた政府は、折からの自由民権運動、とくに過激な暴力主義的な運動に博徒が加担して社会秩序の破壊に手を貸すことを恐れて、早くも「刑法」施行の翌年、明治十六年(1883)に「刑法」、「治罪法」の改正を検討し、明治十七年(1884)一月に「賭博犯處分規則」を制定、施行した。これは、賭博犯については「刑法」の規定があ... 館長
三 花札賭博の横行 (二)明治前期の賭博犯処罰 少し歴史をさかのぼって説明するが、明治維新後の新政府は近代国家形成のために、それまでの各藩で異なっていた刑罰法規に代えて、全国で統一された新たな法規の制定を急いだ。しかし、賭博関連の法規は必ずしも整備されたものではなかった。維新後の刑罰法規である明治元年(1868)の「仮刑律・雑犯」、明治三年(1870)の「新律綱領」... 館長
三 花札賭博の横行 (一)花札の賭博用具化 花札の評価は明治初期(1868~77)に大きく変わった。江戸時代には主として女子どもの遊技具として愛好されていたが、幕末期(1854~67)には博徒が主催する賭博場でもこれが用いられるようになった。当初は、骰子賭博に参加する人数が揃って本格的な博奕が始まるまで、早めに到着した客の暇つぶしに使われていたが、その後、カルタ... 館長