歌集『百人一首』誕生の謎 歌集『百人一首』誕生の謎 右:『百人秀歌』(『百人一首への招待』)、左:『百人一首』(『別冊太陽愛蔵版』) はじめに:『藤原定家「明月記」の世界』の刊行に触発されて 一 『百人一首』発祥論への疑問 二 「持統天皇」と「持綩天皇」という表記の差異が示すもの 三 『百人一首』を歌集と理解した場合の問題点 四 公家、藤原定家の「家記」と「家歌記」への執念 五 小倉色紙の登場 六 定家が添削して編纂した、自家の秘密教材たる百首の「歌群」 七 後鳥羽院との絶縁を表明する定家 八 『小倉百人一首』は後世に二條流が制作した歌集 おわりに
三 九が勝数のかぶカルタ遊技 (二)「かぶカルタ」遊技の流行 かぶカルタ遊技図(『鹿の巻筆』) 貞享三年(1686)刊の『鹿の巻筆』「三人論議」では、主役の一人三郎兵衛は「カルタをすきて、讀(よみ)の、...
二 元禄年間後期の花合せかるたの発見 (一)元禄年間後期、土佐光成筆の花合せカルタ この時に発見された新史料は、元禄年間(1688~1704)、多分その後期(1698~1704)の花合せかるた一組である。百紋標・四百枚の内、...
三 ポルトガルのカルタの遊技法 (四)「松浦屏風」のカルタ遊技図像の解析 しかし、問題はむしろこの外にある。まず、京都においては、慶長年間(1596~1615)にはカルタ遊技はまだ新奇な遊技であり、公家の中院通村が...
三 江戸時代後期以降の花札 (一)伝狩野芳崖筆の花合せかるた 狩野芳崖『花鳥合せ』 (『日本の名画1狩野芳崖』) 「寶永二年拝領花合せかるた(仮称)」の発見によって改めて注目されるのが、幕末期 (185...
4-3 江戸はかるたの王国③「外国語かるた」 八 和漢泰西先哲格言のかるた ここで、「英語諺和英かるた」との関係で興味あるいろはかるたを紹介したい。それは明治二十四年(1891)に伊勢國渡會郡宇治山田町の三重縣士族、...
一 「絵合せかるた」の発祥 (五)「舞台芸能絵合せかるた」の研究 絵合せカルタ史の研究で次に生じたのは、絵画史料を駆使する江戸時代の狂言史の研究者、藤岡道子と私による「狂言かるた」の研究である。この研究では...