歌集『百人一首』誕生の謎 歌集『百人一首』誕生の謎 右:『百人秀歌』(『百人一首への招待』)、左:『百人一首』(『別冊太陽愛蔵版』) はじめに:『藤原定家「明月記」の世界』の刊行に触発されて 一 『百人一首』発祥論への疑問 二 「持統天皇」と「持綩天皇」という表記の差異が示すもの 三 『百人一首』を歌集と理解した場合の問題点 四 公家、藤原定家の「家記」と「家歌記」への執念 五 小倉色紙の登場 六 定家が添削して編纂した、自家の秘密教材たる百首の「歌群」 七 後鳥羽院との絶縁を表明する定家 八 『小倉百人一首』は後世に二條流が制作した歌集 おわりに
MONOGRAPH 「南蛮カルタ」・450年後のよみがえり 江橋 崇 English/Japanese ボハルデのドラゴンカルタ・整列済 一 よみがえった「南蛮カルタ」 ベルギーカルタ博物館HP 今年...
四 「舞台芸能絵合せかるた」から「芝居遊びかるた」への変化 (二)「譬え合せかるた」 こうした変化は様々なタイプのかるたで生じて、各種の「いろはかるた」が出現したものと思われるが、「譬えかるた」の場合は少し違った経路をたどって...
一 近代日本人の対外進出と花札 (一)日本製のかるたの対外進出 江戸時代末期(1854~67)の開国以降、日本国内は押し寄せる西欧の文化に翻弄されて嵐のような変革に直面したが、他方で、いち早く日本人の海外...
5-1 江戸時代初期、「歌合せかるた」の成立 八 「百人一首歌合せかるた」の主役化 延宝年間(1673~81)以降に歌合せかるたが京都の町で流行したが、それは同時に、「古今和歌集歌合せかるた」「三十六歌仙歌合せかるた」「自讃...