歌集『百人一首』誕生の謎 歌集『百人一首』誕生の謎 右:『百人秀歌』(『百人一首への招待』)、左:『百人一首』(『別冊太陽愛蔵版』) はじめに:『藤原定家「明月記」の世界』の刊行に触発されて 一 『百人一首』発祥論への疑問 二 「持統天皇」と「持綩天皇」という表記の差異が示すもの 三 『百人一首』を歌集と理解した場合の問題点 四 公家、藤原定家の「家記」と「家歌記」への執念 五 小倉色紙の登場 六 定家が添削して編纂した、自家の秘密教材たる百首の「歌群」 七 後鳥羽院との絶縁を表明する定家 八 『小倉百人一首』は後世に二條流が制作した歌集 おわりに
二 歌合せかるたの遊技法 (一)「露松」と「哥がるた」 『色道大鏡』(写本) (畠山箕山、延宝六年) 江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)の遊技法の理解で最も重要視するべき実...
三 「百人一首歌かるた」の動向 (三)競技かるたの登場と展開 明治年間(1868~1912)に、大人の間では、正月にかるた会を催して男女が共にこれを楽しむ習慣が盛んになり、当時としては数少ない若い未婚の...
一 「舞台芸能絵合せかるた」の歴史 (五)シルビア・マン旧蔵「狂言絵合せかるた」 狂言合せかるた (シルビア・マン旧蔵 、江戸時代前期) ここで、もう一点、興味ある「狂言合せかるた」を検討しておきたい。現在、私の手元に、以...
6-3 開国後の日本で外国人の眼に映じた日本のカルタ 八 ヘンリー・スペンサー・パーマー ヘンリー・スペンサー・パ-マー この時期に、新流行の花札について、最も本格的に体系を立てて紹介したのがイギリス人の工兵将校で、横浜の公共土木...