歌集『百人一首』誕生の謎 歌集『百人一首』誕生の謎 右:『百人秀歌』(『百人一首への招待』)、左:『百人一首』(『別冊太陽愛蔵版』) はじめに:『藤原定家「明月記」の世界』の刊行に触発されて 一 『百人一首』発祥論への疑問 二 「持統天皇」と「持綩天皇」という表記の差異が示すもの 三 『百人一首』を歌集と理解した場合の問題点 四 公家、藤原定家の「家記」と「家歌記」への執念 五 小倉色紙の登場 六 定家が添削して編纂した、自家の秘密教材たる百首の「歌群」 七 後鳥羽院との絶縁を表明する定家 八 『小倉百人一首』は後世に二條流が制作した歌集 おわりに
二 『雨中徒然草』が示す江戸時代中期の読みカルタ遊技 (二)読みカルタ札の枚数、遊技参加者の数 読みカルタ遊技図 (プライス・コレクション、『江戸の遊戯』) 『雨中徒然草』は山口格太郎が市中で発見して滴翠美術館で所蔵し、その寛大な学術上...
一 麻雀牌が語る麻雀史への道 (三)「青蚨」の発見と「一索進化論」の提起 そして、この時期に、中国の友人と話をしていて、「青蚨(チンフー)」のことを知った。青蚨(チンフー)はカゲロウ(蜉蝣)の一種であるが、母子の情...
1-2 鎖国日本への来訪者が見た日本のカルタ 七 シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold) (Philipp Franz Balthasar von Siebold)若い時期の全身像の絵 ブロンホフ、フィッセルに次いで日本のカルタを...
三 オランダのカルタ (一)宇田川榕庵が模写した「和蘭闘牌」 宇田川榕菴模写のカルタ(文政四年、津山洋学資料館蔵) ポルトガルのカルタに次いで、オランダの対日貿易が始まると、そのカルタも日本に伝来してい...