歌集『百人一首』誕生の謎 歌集『百人一首』誕生の謎 右:『百人秀歌』(『百人一首への招待』)、左:『百人一首』(『別冊太陽愛蔵版』) はじめに:『藤原定家「明月記」の世界』の刊行に触発されて 一 『百人一首』発祥論への疑問 二 「持統天皇」と「持綩天皇」という表記の差異が示すもの 三 『百人一首』を歌集と理解した場合の問題点 四 公家、藤原定家の「家記」と「家歌記」への執念 五 小倉色紙の登場 六 定家が添削して編纂した、自家の秘密教材たる百首の「歌群」 七 後鳥羽院との絶縁を表明する定家 八 『小倉百人一首』は後世に二條流が制作した歌集 おわりに
歌集『百人一首』誕生の謎 六 定家が添削して編纂した、自家の秘密教材たる百首の「歌群」 『百人一首』の成立の研究に関して私が疑問に思っているのは、従来の国文学者の『百人一首』成立論では、まず、藤原定家という人間が、和歌を家業とす...
1-2 鎖国日本への来訪者が見た日本のカルタ 四 ブロンホフ(Jan Cock Blomhoff)・その二 ブロンホフは、文化十四年(1817)にオランダ商館長に昇格して再度来日して、文政七年(1824)に次期の館長と交代して帰国している。この在任...
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (三)使用するかるた札の枚数の削減と図像の変化 四枚絵合せかるたでは一組の札が合計二百枚、ないし四百枚になって大部に過ぎるので、実際に遊技する際には一組の札を全部使うのではなく、貝覆の遊技...